小説 川崎サイト

 

冬の雨


「雨ですねえ」
「この前も言ってませんでした?」
「別の人でしょ。私はあなたに言うのは初めてです」
「そうでしたか、よく聞いたような」
「季節で区切ります」
「はあ」
「この冬はまだ初めてです。この前、言ったのは秋です。同じ季節に二度と同じことは言わない。これは私の鉄則です」
「ああ、そうだったのですか」
「しかし、ここで一度言うと、もう二度と言えなくなる。次は春まで待たないとね。それにこの冬、何度も何度も雨の日があった。そして、そんな日、あなたと何度も合っている。その頻度は高いです。しかし、我慢して今日は雨ですねえなどと言わなかった。言ってしまうと、二度と言えませんからね」
「言えばいいのに」
「同じことをまた言っていると思われるのがいやなのです」
「よく聞いたように思うのですが」
「別の人です」
「じゃ、野中さんだ。あの人は雨が降っていると、雨です雨ですと何度も言う。別に違和感はないですよ。ただの挨拶なので」
「それ以上話は延びないわけでしょ」
「そうですねえ」
「しかし、私のは違います。雨が降っていたという挨拶では引っ込まない。その先が実は長いのです」
「秋の頃でしたか」
「長かったでしょ。秋の雨にまつわる様々な話、そしてこの雨はどこから来ているのか、などとね」
「聞いたように思いますが、忘れました」
「せっかく熱演したのに」
「そうでしたか」
「じゃ、始めます」
「え、何をです」
「だから、ずっと我慢して言わなかった今日は雨ですねを始めたいと思います」
「あ、野中さんだ」
「今日は雨ですねえ。いや、参った参った。雪よりも寒いですよ。それに降っているのかどうか分かりにくい降り方で、傘を差すとやんでいるし、それで傘の紐をやっとパチンとしたと思ったら、また降り出して、これは運が悪い。タイミングが合わない。私は濡れた傘を触るのはいやなんですよ。だからあの留めるための紐ねえ、あの紐だけならいいが、濡れた傘の本体も持たないと、紐も回らないでしょ」
「ああ」
「それとパッチンですが、これが馬鹿になっていましてねえ、音がしない。だから確実に留まったのかどうかが不安になるほど。錆びたとは思えない。まあ、長い間使っているので、そんなものかもしれませんがね」
「それはそれは野中さん。雨なので来ないと思っていましたよ」
「いえいえ、大丈夫、大丈夫」
「雨について今、私が話そうとしていたところです」
「おや、岸田さんですね。久しぶりです。今日は雨ですねえ。雪の降る日より寒い。もうすぐ春なのにねえ」
「それは先ほど聞きました。私の番です」
「何の番です。店番ですか。のど自慢ですか」
「違う。雨について語ろうとしているのです。今、話さなければ春になってしまう」
「何の話ですか」
「だから、雨の話です」
「それはもう終わりましたよ。さっ、さっ、次にいきましょう」
「私は我慢して雨の話をとっておいた」
「今年花見はどうします。やりますか。去年は寒くて風邪を引きましたよ。だから個々で行くというのはどうです」
「雨の話はもういいのですか」
「はい」
「野中さんも」
「はい」
「私はもう二度と雨の話はしない。絶対にしない。いい話で、感動を呼ぶ話なのに。もうしない」
「はい」
「はい」
 
   了



2020年3月3日

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