小説 川崎サイト

 

自己謀反


 以前よくやっていたことをある日突然やめてしまうことがある。環境の変化とか身体の変化ではなく、気の変化だ。しかも自然に。そのため何か決心をしてやめたわけではない。続けてはいけない理由などはない。これはどちらでもいいことなのかもしれない。
 ただ、毎日やっていたことなら習慣化し、それをやらないと間が持たないとか、物足りないとかもある。そういうものではなく、ただの時間つぶしでやっていたどうでもいいようなことだろう。気が向かなくなり、やめることもある。
 また、別のものに目移りし、そちらに行ってしまうことも。ただ、すぐにそれは戻ったりする。
 しかし、一度やめると、その気にならないこともある。気が戻らないのだ。戻そうと思えばいつでも戻せることでも、何となく気が進まない。それは以前やっていたことなので、もうそれほど期待もしていないし、飽きてきているのだろう。
 そういうものを久しぶりにやることがある。風向きが変わったのか、気の向きも変わったのかもしれない。気が変わったわけではなく、気はそのまま。
 そして以前やっていたものに戻るのだが、相変わらずの世界が続いている。これがいいのかもしれない。相も変わらぬもの。それだけでもいい。
 季節は進んだかと思うと戻る。特に季節の変わり目。だから気分の変わり目というのがある。そういうとき、以前やっていたものに目がいったりする。そちらにもう一度戻してみようかと。
 これは先への展開が期待できない場合や、飽きてきたときなど、少し前に戻る感じ。
 流れを変えると、空気でもかき乱されるのか、攪拌される。この動きが少し見もので、下手をすると混乱するが、たまには無風地帯にいるよりも刺激があっていい。
 進みすぎというのもある。やり過ぎとか。そこまで行くと、もう離れすぎてしまうとか。それを補正したくなったとき、一歩か二歩退く感じ。それで以前やっていたところにまで戻る。そこがカレントだった頃に。そして行く方角や規模とか、そういった舵を切り直すのだろう。
 当然以前には戻れなこともある。そちらの方が多いかもしれない。
 人はそういう微調整を常にやっている。しかし調整する以前に、ただの思い付きだけで、終わることもある。考えているだけで、結局は今のままが多い。あまり現状を変えたくない。その現状とはなるようにしてなった妥協点のような落とし所で着地しているので。
 しかし、常に頭の中では謀反が起こっていたりする。実行することは希だが。
 
   了



2020年3月7日

小説 川崎サイト