小説 川崎サイト

 

不平家


 平岡は世の中に対して文句ばかり言っている。それを聞いていた立花は、どんどん不快になっていった。それで、では気に入っているものはないのかと聞くと、それは言わない。褒めるべきものはないのかと聞くと、滅多に言わない。だからけなしてばかりいるので、もう平岡の話など聞かない先から分かってしまう。そして言っているだけ。
 世の中に不平のある人は確かにいるし、不平とか不満はあるが、そればかりだと飽きてこないものかと立花は平岡の内面を探った。
 正義感が強く、正しいことが好きなことは分かったが、果たしてそれだけの人だろうか。
 敵ばかり攻撃しているが、味方もいるはず。その味方までまさか攻撃しないだろうが、そのときは言わないようだ。
 きっとストレスでもたまっているのか、または、そういう性格の人なのかは分からないが、たまに褒めることもある。よくやったと。そのときの発音というか言い方、しゃべり方が、全く違う。ものすごく大事にしているものに触れるような話し方で、立花はその声が嫌だ。聞いていてぞっとする。ここまで態度が変わるのかと思うほど。
 不平家なのに味方はいるようで、その味方に対しての不平や不満はめったに聞かない。だから、不公平ではないかと立花は思うのだが、やはり贔屓があるのだろう。あって当然なので、問題はない。
 世の中はうまくできておらず、理不尽なことばかり。解釈は人それぞれだが、不満話ばかりを聞いていると、聞いている側はいらついたりする。そうだと思えないためだろう。立花には立花の解釈がある。それを言うと、平岡は不機嫌になる。
 それで、いつも一歩下がって聞いている。本気になって聞くと、反論したくなるためだろう。
 それよりも、平岡自身に問題はないのだろうかと、そちらを見てしまう。目くそ鼻くそを笑うようなものではないかと。
 共通の友達に芝垣がいる。彼の対平岡戦は、ただひたすら同調すること。平岡の言うことは何でも正しい。その通り、その通りと。これはただの防御だ。
 しかし、話を平岡に合わせ続ける芝垣の本音は分からない。真意はどこにあるのか。何を考えているのか一切分からない。
 なかったりして。
 立花は平岡よりも、芝垣の方が好きだ。これは相性の問題。それと態度の問題。芝垣のスタイルの方が好ましい。はっきりとしたことは言わないし、立場を明快にしない人だが、こちらの方が大人だ。世の中で起こっていることの真意など、そう簡単に分かるものではない。
 何十年後、実はあのときは、そうすることで切り抜けたとかがある。それはもう当事者が亡くなってからやっと分かることだったりするが、墓場まで持って行く人は、いつまでたっても分からない。誤解されていたとしても、誤解されたまま。ここに何かすごいものを感じる。
 平岡は昨日今日の出来事を、すぐに判断し、断定し、不満や不平を言い倒す。
 平岡が褒めたことでも、事実関係は違っていたと、あとで分かることもある。
 立花自身はどうかとなると、どういうポーズがいいのかと、考えている最中。
 いろいろな友人知人を見ながら、好ましいポーズを探し続けている。
 立花が分かっているのは、不平や不満ばかり言う人に不満がある程度だろうか。
 
   了
 


2020年3月8日

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