小説 川崎サイト

 

我が世の春


「暖かいですねえ」
「春が来ましたね」
「来ましたか」
「冬が去ったのは確かです」
「そうですね」
「ところであなたの春は?」
「なかなか我が世の春にはなりませんよ」
「そのあと秋が来る」
「夏ではなく」
「そうです。いい頃は善いのですが、やがて黄昏れだし、盛時は去る」
「盛者必衰のあれですね」
「必ず衰える」
「まあ、一度も我が世の春をしないよりはいいでしょ」
「いやいや、我が世の春ができる人など希ですよ。小春ならありますがね。瞬間でしょ」
「でも我が世の春を楽しみたいです。一瞬でもいいので」
「そうですねえ。我が世の春があるだけでも十分かもしれません。しかし、未だ我が世の春がない人の方が先が楽しみですよ」
「そんな見込みなど全くない場合は、期待もしないでしょ」
「何かの拍子で、偶然いい運に恵まれて、そんな状態になるかもしれませんよ。今の延長線上じゃなくね」
「ところで、あなたの春は」
「私、寸止めにしています」
「寸止め」
「その手前でよしてしまいます」
「え、でも我が世の春の手前まで行かれたのですね」
「まだです」
「そうでしょうねえ、凄い人になっていれば、こんなところで菜の花など見ていない」
「ここは菜の花の名所ですが、狭いでしょ。それに裏に回り込んだ、あの家の庭の畑ですから、まあ、一般の人が見学に来ることはありません。だから穴場です」
「しかし、どんな人が住んでいるのでしょうねえ。畑一面菜の花ですよ」
「元々農家だったのでしょ。残ったのは裏の畑だけ。別に百姓をするわけじゃないし、野菜を育てて、それで食べていくようなこともしない。家庭菜園のようなものでしょ」
「しかし、広いですよ」
「庭じゃなく、本当の畑ですからね。規模が違います」
「わが畑の春ですね」
「きっと菜っ葉でも植えていたのでしょ。そのまま放置していただけもしれません」
「そうですね」
「ガラス戸の向こうで人が動いていますね。見物が見付かったのかもしれません」
「そうですねえ。行きますか」
「そうしましょう」
「しかし、あなたもここをよく知っていましたねえ」
「ウロウロしているとき、見付けたのです」
「私も去年見付けました」
「菜の花の黄色ばかり見ていたので、目がおかしくなりましたよ」
「これはねえ、夜が見所なんです。明るいんですよ。菜の花で」
「それはいい」
「まあ、ひとの家の庭ですから、夜に覗くことになるので、駄目でしょ」
「菜の花月夜、一度見てみたい」
「童謡にありそうです」
「さて、駅までご一緒しますか」
「はい、我が世の春の話をもっとしたいので」
「こんな呑気な菜の花見学ができることが既に我が世の春かもしれませんよ」
「そうですねえ」
 
   了




2020年3月12日

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