あれこれ
これというのがないとき、吉田はこれを探す。しかし探さなくてもこれというののは結構ある。だがそれを今するとなると気が重い。今ではなく、あとに回し、最後までしないこともある。だからこれというものではないのだろう。
その、これというのはよく変わるし、またすぐに終えてしまうものもある。長く続いているものもあるが、長いとこれというものではなくなっている。
吉田により、これというのは、あれではない程度。あれでではなくこれがいい程度。あれがこれになることもあるが、距離感の問題だろう。
だからこれもあれも似たようなもの。これというものは注目しているもの。注視しているもの。気にかけているものの中で、一番距離の近いものだろうか。
どちらにしても、同じようなもので、あれこれと一つにしてもいい。吉田にとってはこれだが、世間は無視しているか、注目さえしていない場合もある。
このあれこれの中身はどんどん変わり、今年のこれと去年のこれとは違うどころか、毎日違っていたりする。
吉田は気が向けばあれをしようか、これをしようかと考えるが、あれではなく、やはりこれをしたい。だからこれがしっかりしていないと、あれをやるしかない。
吉田にとり、これの方が価値が高い。これが遠ざかるとあれになる。あれが近くなると、これになる。
これは正体が分かっているが、あれは少し分かりにくい。
これの正体が分かっていても、それがどんどん分からないものになってしまうことがある。そのときはあれになる。
それらはすべて吉田の言い分で、吉田の判断でしかない。だからそれは外に出せない。
あれこれとは別に、それがある。あれでもなくこれでもなく、それ。自分ではなく、相手の視線だったりする。
本当にやるべきことは、あれこれではなく、それだろう。
人それぞれの、それだ。
了
2020年3月15日