小説 川崎サイト

 

現実劇場


 芝垣は最近行動範囲が狭まった。別にそれで不自由はないが、何か物足りない。減ったため足りないのだろう。おかげで交通費や時間が省略できるのだが、移動中の時間というのも悪くない。車内で座っているだけ、立っているより楽だが、これといってすることがない。スマホを見ている人が圧倒的に多くなったが、以前は読書タイムだった。この移動中だけの読書時間でも毎日なら結構多くの本が読めた。別に読むために移動しているわけではないが。
 知らない町まで用事で出ると、そのついでに見学もできる。別にその気がなくても沿道の風景などを見ている。寄り道までして見に行くことをしないのは、それが目的ではないため。
 余計なことをすると用事が片付かない。
 今なら、その余計なことをメインにして出かけることになるのだが、余計だからできたのであって、それがメインになると、行く気がしない。それほど大事なことではなく、見学してもしなくても同じようなもの。
 その証拠に以前行ったところの記憶などほぼ忘れている。それが何かに生かされた経験もない。
 何かのついで。これがよかった。
 それで久しぶりに遠出しようかと芝垣は考えた。これは何度も思うだけで、いざ出ようとなると、面倒くさくなり、結局出かけない。魅力のある目的地ではないためだろう。この魅力というのは魅入られたようなレベルに達しないと押し出しがない。そんな魔力に近い魅力のあるものなど、そうそうないだろう。
 これは人が関係し、また仕事や将来が関係し、また血のように存在そのものにでも関係しないと、成立しないのかもしれない。
 一般の人たちが誰でも立ち寄れる場所なので、特別なものではない。
 それでも、うろうろしてみたいもの。
 柴田はこれまでの経験で、どんなにつまらない場所でも、出かければ必ず何らかのイベントがあることを知っている。これは誰かが仕掛けたものではなく、偶然起こる出来事のようなもの。それにはジャンルがあり、ホームドラマもあればサスペンスやミステリーもあるし、喜劇も悲劇もある。だが、誰も演じていないし、シナリオもない。
 だから行ってみるまで出し物が分からない。これといったものがなくても、虚無劇、不条理劇風な展開になったりする。
 それは現実を劇場にしているためだろう。
 
   了

 
 


2020年3月20日

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