小説 川崎サイト

 

夏眠人間


 春先のいい季候だが、吉田はじっとしている。まだ冬眠から覚めないわけではない。冬場はしっかりと目を開けていた。ところが春に近付くほど怠くなる。気温が上がったためだろ。本来なら眠っていた動物や植物も、この時期動き出すのだが、その逆だ。これは気候の問題ではなく、吉田の精神的なことかもしれない。
 冬場活動的で、暖かくなると動かなくなる。これは動植物でも例があるはず。
 精神的というのは、この季節が嫌なのだ。特に桜の咲く頃。卒業や入学の季節。里や野も明るくなり、日照時間もどんどん延びる。
 それでも吉田は人間なので、じっとしているわけにはいかない。動物でもあるので、動いていくら。
 体調が悪いわけではなく、気分が優れないわけでもない。しかし、なぜか怠い。春風が吹き出した頃から動きが止まり、何をするにも大層になる。これは例年のことなので、何とかなる。秋まで待てばいい。
 そのため、仕事は寒い時期にすべてやってしまう。だから春から秋が深まるまでの間、じっとしていても困らない。ただ、この間、長い。最低限の日常生活はこなさないといけないが、これは何とかなる。怠くなり、鈍化しているが、それぐらいの動きはできる。これも毎年だ。
 しかし、暑さに弱いわけではない。汗かきでもない。気怠いだけで、健康だ。
「ほほう、そんな人が存在しているのですか、生息しているのですか」
「僕の友人です」
「ほほう」
「キリギリス男と呼んでいます」
「痩せているのかね」
「いえ、蟻とキリギリスのあれです」
「ああ、イソップの」
「そうです」
「じゃ、夏場は遊んで暮らしているんだろ」
「仕事をしていないだけです。だから、涼しくなってから働くようです。春先まで」
「それで春と夏は歌って暮らしているのかね」
「歌いませんが、じっとしています」
「何だろう」
「夏眠でしょ」
「仮眠?」
「冬に冬眠するように、春は春眠、夏は夏眠しています」
「暑いだろ」
「だから動けないので、じっとしているのです」
「バケモノだね」
「でも大人しいですよ。それに蟻に食料を分けてもらいに行くわけじゃなく、冬場は懸命に働いています。人の倍以上。だから春と夏は仕事をしなくてもいいのです」
「羨ましいねえ。しかし、冬は働くわけだから年中遊んで暮らしているわけじゃないから、羨むことはないか。それなりに大変だ」
「別に遊んではいませんよ。じっとしているだけです」
「妙な人がいるねえ」
「世の中、いろいろですから」
「そうだね」
 
   了


2020年3月25日

小説 川崎サイト