小説 川崎サイト

 

春霞


 吉備郷の牛尾橋三郎は国人と呼ばれている。その地に土着している人だ。動乱の時代なので、武者姿。それもかなり古式の。まるで都の御所でも守りに行く本来の武人のように。
 その牛尾橋三郎が山道を歩いている。城下に出るためだ。久しぶりにいいものが食いたいし、着るものも欲しい。小刀の鞘が痛んでおり、巻き付けてある紐のようなものがほつれているし、鞘そのものの塗装もはげている。はげている箇所を塗ってもらいたいし、紐も閉め直して欲しい。たまに城下に出て町屋を回る。山暮らしでは退屈なためもある。
 城下近くの道で、兵が動いているのが見える。また戦でもあるのだろう。城の兵のようだ。身なりがいい。
 城下の取っつきに木戸がある。関所だ。他国の間者を入れないためだろが、牛尾は顔パスで通れた。顔馴染みになっている。
 城は丘の上にある。そちらへ向かわず川沿いの町屋へ行く。だが、人が少ない。やはり戦が近いためだ。まさか敵はここまでは来ないだろうし、城下まで迫られたのなら、負け戦だ。
 城からの使いはない。負けそうなのに、兵をよこせと言ってこないのは、戦う気がないのだろう。
 他の支城からの兵も来ていない。先ほど通っていたのは城の常雇いの兵だろう。多くはいない。
 吉備郷牛尾家はこのあたりでは名士。動員できる兵は数十もいない。武家の格好をしているのは牛尾家や分家と、牛尾家の家老の三家だけ。これが一族郎党で、その兵力ではなんともならない。それで動員をかけなかったのだろう。
 また、ここの領主よりも、牛尾家の方が家格は上。だが吉備郷数十程度の勢力なので、なんともならないが。
 それで、鞘の修繕を頼み、造り酒屋が飲み屋をやっているので、そこでおいしいものを食べ、春向けの薄い小袖を買う。うぐいす色で、かなり派手だ。
 戻り道、別の関所を抜けると、柵がその向こうにできている。騎馬の突入を防ぐためだろうか。鉄砲隊が仮小屋の中にいる。
「始まるのか」
「そうです。来ますよ」
「大変だな」
「来ると決まったわけじゃありませんがね。負けるのが分かっているので、城じゃもう無策です」
「柵があるじゃないか」
「そうですね」
 町家にはまだ人がいた。これは来ないだろうと、牛尾は判断し、山へ向かった。馬は使わない。山道の一部が壊れており、馬が通れない。
 山を少し登ったところで、城下を見下ろすと、土煙がたなびいている。敵が来たようだと、一瞬緊張したが、よく見ると春霞だった。
 
   了
 


2020年3月28日

小説 川崎サイト