小説 川崎サイト

 

雨桜流花見


 雨の日に傘を差しながら花見をしている人がいる。これが名物になり、その後、雨桜を見る人が増えた。花見にも流儀があり、雨桜流の家元となったのだが、今年はまだ姿を現さない。
 当然晴れていても曇っていても来ない。雨でないと。
 雨が降っている日でも、雨がやむと、近くのお寺で待機している。雨が降るまで。
 山門前にお寺が茶店を出している。当然雨の日は客がいないに等しいが、その雨桜流の家元が話題になってから来る人が多くなった。だが今年は姿を現さない。既に咲いており、今日は雨。雨が連日続くので、雨桜流にとっては水を得た魚のようなもの。ただ元気を出すのは、この流派では控えられている。静かにぽつりと一人、傘を差しながら、桜を見る。難しい話ではない。特に作法はないが、静かに眺めておればいい。
 雨は三日降り続き、桜もかなり咲きそろっている。なのに家元の姿がない。
 住職も心配し、山門まで出てくる。その茶店は雨でも開いている。平日でも。それは家元のおかげなのだ。
 茶店は賑わっている。そこから渓谷が一望でき、花見をしている傘が間隔を置いて何本も咲いている。
「今日も来ておられぬか」
「まだお見えじゃありません」
「どうされたのかのう」
「さあ」
「もし来られたら、帰りに庫裏へ寄るよう言うて下され。お茶でも出します」
「はい、お伝えします」
「うむ」
「住職も如何ですか」
「何が」
「雨桜流の花見」
「そうじゃな、わしもやってみるか。ただただ傘を差しながら立ち止まり、桜を見続ければいいのじゃったな」
「そうです」
「これは立ち禅じゃな」
「傘の持ち方も大事です」
「それも家元のご指導で」
「いえ、家元は何もおっしゃりません。それを見ていた弟子たちが教えてくれます」
「番傘はまだあるか」
「はい、まだ全部貸し出していませんから、残っています」
「じゃ、借りる。いくらじゃ」
「いえいえ、どうせ住職の収入になるのですから」
「そうじゃったな。僅かな金銭じゃが、雨でも人が来てくれるだけでもありがたい」
 住職は番傘で雨をバチバチ受けながら、桜へと向かった。
 家元が来たのは満開を過ぎ、散り始めている頃で、当然雨の日。
 体調を崩していたらしく、今年は出遅れたようだ。
 
   了


2020年3月30日

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