小説 川崎サイト

 

通らなくなった道


 しばらく通っていない道がある。よくあることだ。しかし、毎日通っていた道なので、日常の中からその道が消えたことになる。道は存在している。当然だ。
 しかし、吉田の中では消えてしまった。だが、再びそこを通れば姿を現す。吉田が通るまで休憩しているわけではない。工事でもしていなければ営業中だ。その道は有料道路ではないが、道沿いの店は営業している。普通の民家も多いのだが、それらの家は営業ではなく、日常を営んでいるのだろう。
 家だけがそこにあるのではなく、中身がある。ガレージの車も動き出すだろう。玄関先の鉢植えも季節により、違うものが植わっている。道はそのままだが、その沿道は生きている。それがただの林だったとしても、自然の営みを続けるだろうし、人の手も入るだろう。
 吉田がその道を通らなくなったのは、用事がなくなったため。用事は別の道に変わった。方角が変わったので、そちらの道が今度は馴染みに道になる。毎日通るので。
 それで二週間ほどになる。結構長い。満開前だった沿道の桜も散りかけているだろう。二週間経てばそれくらいの変化はある。そしてツツジが咲いているかもしれない。つぼみを二週間前に見ているので、もうその歩道の生け垣のツツジは咲いているものと思われる。
 それを見たいわけではないが、久しく通っていないので、どうなったのか、その続きを気になった。まるで連ドラを見ているように毎日その変化を見続けていた。その続きが見たいのだ。
 そして時間帯は違うが、夕方近く、散歩に出たついでに、その道に入り込んだ。
 先ず来たのは道がよそよそしい。沿道もよそよそしい。まるで他人だ。よく馴染んだ顔見知りのはずが、今は知らん顔をしている。そして余所者が入り込んだと歩道や沿道の店屋や電柱さえ違う目付きで見ている。
 道路に目があれば大変だが、歩道のアタリが違う。このアタリとは自転車のタイヤが先ず感知する。こんなにガタガタしていたのかと、改めて思う。繋ぎ目が広いのだろう。毎日なら、それは分かっていても、もう慣れて、気にしなかっただけ。
 いつも行っていたのはその先にあるのだが、二週間程度ではそれほど変化はないが、桜の古木が満開前だったのが葉桜になっている。妙に青々しい。逆に新鮮だ。二週間で年を取ったのではなく、若葉で若返っていた。
 たまにこうして吉田は通らなくなった道を通る。ご無沙汰しないように。
 
   了


2020年4月20日

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