小説 川崎サイト



大衆食堂

川崎ゆきお



 めし。うどん。丼物一式。
 上田はこの看板を見るとほっとする。やっと自分が知っている世界がある……と。
 上田が生まれ育った世代にはファミレスもコンビニもハンバーガー屋もドーナツ屋もなかった。
 あったかもしれないが、今のようなチェーン店ではなかった。
 うんど屋はめし屋であり、めし屋はうどん屋でもあった。
 ちょっとした商店が並んでいる通りには、よくあったのだが、最近見かけない。
 夏の夕暮れ、上田は自転車でうろうろしていた。部屋が暑いので、涼みがてら散歩に出たのだ。
 走っているうちに腹がすいてきた。いつも自炊しているのは金がないためだ。もう外食できるだけの余裕がない。
 ここで食べると、次の日からのおかずに影響する。一瞬の快楽が、苦痛に変わる。
 だが、めし屋に入る程度は贅沢ではない。もう少しましなお食事処でビールでも飲みたいところだ。
 それが普通のコースだったのは働いていていた時期だ。今は入るものがないので、倹約するしかない。
 ふと見かけためし屋の看板は、看板文字だけで、店の入り口があったらしい形跡を残す程度だ。看板は庇の上に張り付けられており、建物の一部と化している。これを剥がすと、家に穴が開くのかもしれない。
 通りのスナックや焼き鳥屋のネオン看板に明かりが入る。賑やかだ。
 単に飯が食いたいだけならコンビニで弁当を買えば済むことだ。
 めし屋で何品か注文すると、弁当よりも高くつく。
 それを考えると牛丼屋が充実する。安っぽい大衆食堂のほうが逆に贅沢なのだ。
 しかし上田は大衆食堂の客になりたかった。まだ、そんな贅沢ができる自分を見たかったのだ。
 しかし、上田よりも先に店はダウンしていた。
 上田の中で何かがふっ切れた。もう明日のことなど忘れて蕎麦屋に入った。
 そして、ずっと我慢していた天麩羅定食の上を注文した。
 たまにはこういう暴挙に出ないと、やってられないのだ。
 上田は太閤殿下のような気分で海老の天麩羅を口に運んだ。
 
   了
 
 
 


          2007年8月8日
 

 

 

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