小説 川崎サイト

 

藁神様


 穏やかな日だが、柴田は心穏やかではない。しかし、穏やかな陽に当たれば、心も穏やかになるのではないかと、妙なことを考えた。その発想が分からないようで、分かる。単純すぎるが一割ほどは改善するかもしれない。これは多いか少ないかは判断しにくい。その基準となるものがないためだろう。しかし、何処かでそのデータを取っている人がいるかもしれないが、その必要性から考えると、いないかもしれない。
 柴田は藁にでもすがる思いで、陽にすがることにした。藁に比べれば太陽は巨大で、これが出なくなれば世界も亡びるだろう。藁がなくなるのとはわけが違う。
 しかし太陽の効能は方々に行き渡っている。陽を神として崇める民族もあるだろう。太陽神だ。
 つまり柴田は太陽神に頼ることした。藁神様よりましだろう。藁は貧乏臭い。逆に貧乏になるかもしれない。
 こういう発想ができる柴田はユニークだ。試そうとしたのだ。太陽に向かって飛んだ蜂のムサシような勇気はないが、柴田はそんな無茶をするほどのエネルギーはない。単に心穏やかではない程度なので。
 それで日当たりの良いところを探していると、田んぼがあった。昔はレンゲやタンポポがこの時期咲いているはずなのだが、別の草に取って代わられている。いずれも背は低い。地面すれすれだ。これもしばらくの間で、すぐに水田になるだろう。それまでの命だ。
 柴田はその田んぼの畦道に入り込む。田んぼの端ではなく、他の田んぼの間の道。これは道とは言えない。お隣の田んぼの境界程度の盛り土。
 しかし田んぼの中程まで入り込めるので、日当たりが良いだろう。
 柴田は田んぼの中にいる。柴田も田が付く。柴の田。謂れは聞いたことはない。柴田といえば柴田勝家。秀吉と争い負けている。その柴田が武家なので、柴田も武家の血筋かもしれないが、そういう地名の所から出た人かもしれない。
 柴田は田の中にいる。田中という人も多い。そんなことを考える余裕があるのだから、柴田の精神状態もそれほど悪くはないのだろう。
 畑の中程に達すると、そこにこんもりとしたものがある。稲刈り後、残っていた藁だろうか。肥えでも作るために野ざらしになっているのだろうか。それは分からないが。
「私にすがる気はないとか」
「誰だ」
「藁だ」
「貧乏がうつりそうなのでな」
「困っていないんだ」
「そうだな。藁にはまだすがる必要はない。今日は陽にすがることにした」
「すがるものがあるのだな。それじゃわしの出番はない。ずっとない。だから暇だ。わしにすがらんか、サビスするぞ。暇なので」
「何をしてくれるんだ」
「私を一本手に取り、それを大事にしてくれれば改善する」
「改善」
「よくなる」
「どの程度」
「さあ、自信はない。わしもすぐに折れるからな」
「頼りないなあ」
「藁だからな」
「遠慮する。藁では大変だろう」
「頼りないからな」
「まあ、余計なことをしないで、寝ておればいい」
「そうか、気が向けば来なさい」
 柴田は田んぼの真ん中で、日向ぼっこを続けたが、藁のことが気になる。
 それで場所を変え、田んぼの向こう端まで行こうと歩きだしたとき「達者でな」と藁がまた喋った。
 悪い奴ではない。良い藁だ。しかし藁では何ともならない。
「達者でな」の声がまた聞こえた。
 そして田んぼを出たとき、振り返ってみた。先ほどまであった藁の塊が消えている。
 柴田は、すぐに引き返したが、藁などそこにはない。
「しまった」と柴田は思った。やはりあれば藁神様だったのだ。
 そんな機会など滅多にない。折角手を差し伸べてくれたのだから藁に頼るべきだった。こんな偶然は一生ないだろう。
 しかし、藁では何ともならないか、と、諦めた。だが藁の好意は嬉しかった。
 心穏やかではなかった柴田だが、少し和んだ。
 
   了


 


2020年5月2日

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