小説 川崎サイト

 

銀鼠


 銀鼠を見たという情報が入った。小さな話だ。それがどうした、というような。
 しかし、その情報を受け取ったのは、怪異を扱う専門誌。だから送り手が期待していることは分かる。特に最近は妖怪に力を入れていた。
 銀色の鼠。これは特異な妖怪。スーパー妖怪、プレミア妖怪の疑いがある。もしそんなものがいるのなら。
 だが実際にはただの鼠なので、それだけのことだろう。
 しかし、情報提供者は子供ではなく、老人。匿名ではないし、住所も書かれている。そういうのはネットで扱っているのだが、手紙で来た。ただ、切手は多い目に貼ってある。きっと値段が分からないので、多い目に貼り付けたのだろう。何かの記念切手だが、売れば倍はするかもしれない。切手の絵柄は瑠璃懸巣。
「飲みますか、博士」
「いや、いい」
 編集者はペットボトルをリュックに差し戻した。春から初夏になったのかと思うほど暑い。妖怪博士は冬のコート。これでは暑いだろう。
 日向臭い場所。草の隙間にある道。地肌が見えているが車は通れる。この先に一軒だけ家がある。銀鼠の発見者だ。
 早速目撃者に話を聞く。元々農家だったようだが、村の一番奥にぽつりとある田畑。村から遠いので、ここに家を立てたのだろう。通う必要がない。
 今は山裾の一軒家に老人が住んでいるだけ。その農家、下からもよく見えるのだが、結構大きい。畑仕事ではなく、別の仕事をしていたのだろう。
「銀鼠ですかな」
「そうです。銀色の鼠です。これは貴種でしょ」
 老人は二階の部屋へ行き、箪笥階段を上り、三階の戸を上に開けた。この箪笥階段、左側は壁だが、右側は何もない。一応上から縄が垂れているが、頼りない。落ちても下は畳敷きだからいいが、日常的に上り下りするような場所ではない。三階と言っているが屋根部屋で物置。
 老人は小さな頃から、この箪笥階段で遊んでいたらしい。縄にぶら下がりターザンごっこもし、何度か落ちたらしい。箪笥には金具がない。滑り落ちたとき、引っかけないためだろう。
「箪笥の端にいました。わしを見て、驚いたかのように階段を上がりました。だから上にいるものと思われます。それで何度か見に登ったのですが、何せ物置になっておりまして、その中に逃げ込まれると、もう無理じゃわ」
「銀色でしたか」
「そうです。妖怪でしょ」
 編集者は一応カメラを持ってきている。写真がなければ何ともならないためだ。しかし銀鼠でなくても普通の鼠でも探し出して写真を写すなどは無理だろう。
「何か、思い当たることがありますかな」
 妖怪博士は、ここでもう興味をなくしたのだが、一応聞いてみた。
「何もありましぇん」
 編集者は妖怪博士に目で合図した。帰ろうと。
「銀鼠というのはいるのでしょうか」老人が博士に訊く。
「銀狐は実在します。茶色い毛の中に少しだけ白い毛が混ざっています。これは高いですよ。毛皮にすれば。しかし鼠の毛皮はねえ。それと銀狐は銀色の狐ではありません。少し白いのが混ざっている程度です。銀狼もいますが、これは人の頭の毛です。まあ、白髪ということでしょ」
「わしが見たのは銀色の鼠で、全身銀でした」
「銀鼠はありますが、鼠ではないのです」
「え」
「色のことでしてな。鼠色のこと。その鼠色に銀色を加えた色を銀鼠と呼んでいるらしいのです。正しくは銀鼠色のことです。ただの鼠色と区別するためです。色の話で、そんな鼠がいるのではありません」
 妖怪博士は、そのあたりを調べてから来たようだ。
「しかし、わしが見たのは銀色の鼠。だから、珍しいでしょ」
「そうじゃなあ」妖怪博士は何とも言えなくなった。
「銀色の鼠じゃった」
 老人が敢えて嘘を言う必要はないので、本当に銀鼠を見たのだろう。
 編集者は、早く帰ろうと、また目で合図をした。
「銀鼠を見られたのは、今回が初めてですかな」
「最近じゃわ」
 編集者は「目医者へ行け」と何度も口の中で言った。
「鼠の穴は黄泉へと繋がっていると聞きますが、その銀鼠は上ですなあ。天井裏の鼠は天へと繋がっておる。どちらも冥土だが、上なので、極楽浄土に繋がっておるのかもしれません。一度拝見してもよろしいですかな。そこから銀鼠が出てくるようなので」
「はいどうぞ」
 余計なことをと、編集者はつぶやいた。
 妖怪博士は靴下を脱ぎ、箪笥階段を上った。
 屋根部屋だが広い。高さも三角の尖っているところは結構ある。そして間取りがない。仕切っていないので、母屋分の広さの一間。かなり広い。柱が何本も出ているが、それよりも物置らしく、色々なものが積まれている。ほとんどは箱の中に入っているのだが、むき出しの仏像が先ず目を引いた。等身大より少しだけ小さい。蓮の花の上で座っている。
「誰ですかな」
「お釈迦様やな」
「じゃ、ここは極楽浄土ですなあ」
 しかし、壺とか、飾り物とか、鎧とかもあるし、刀剣などもむき出しで、埃を被っている。もう錆びているだろう。槍も何束もある。美術工芸品ではなく、実際に使った槍だろうか。
 一寸した秘宝館だ。
 天井はしっかりとした板張りで、板の間と変わらない。薄い天井板ではない。
 その上を妖怪博士が歩いていると、がしっときしんだ。
「そこは危ないです。落とし穴ですから」
 老人は慌てて駆けつけた。
 そして、その真上を見ると錆びた滑車がある。紐のようなものはないが、引っかける鈎はある。
 老人は落とし穴を開けた。すると、二階の納戸のようなところが見える。板の間だ。二階にある物置かもしれない。そして、その物置の床にも、同じような落とし穴の四角い板が填め込まれている。
「何ですかな、これは」
「上に上げるためです。わしが子供の頃は、これでエレベーターごっこして遊んだ」
 三階の秘宝館が怪しい。普通の農家で、しかも村はずれ、田畑の広さからはあまり豊かそうに見えない。そして、農業と関係のない品々がある。
 妖怪博士はそちらの方に興味が走ったが、ジャンルが違う。妖怪探しが仕事なので、考えないようにしたが、家の大きさ、豊かさから見て、畑仕事だけでこんな家が建つわけがない。三階にあるのは盗品ではないだろうか。しかし、昔のことだ。
「博士、帰りましょう」
「そうじゃな」
 一階に広い客間があり、そこで茶膳をいただいた。和菓子が皿に盛ってある。数が多い。それが鼠に見えたりする。
「これは、田舎饅頭ですな」
「わしの好物でして」
 妖怪博士は甘党なので、二つほど続けて食べた。
「それで如何なものでしょう、博士」
「ああ、銀鼠なあ」
「珍しいものやと思いますが」
「そうじゃなあ」
 編集者は甘いのが苦手らしく、お茶だけ飲んでいる。
「ところでご主人、この屋で鼠を今までどのぐらい見ましたかな」
「そりゃ鼠ぐらい、いくらでも見ましたよ」
「どんな色ですかな」
「黒っぽい灰色です」
「所謂鼠色」
「そうです」
「だから、銀鼠を見て驚いたのですな」
 編集者は妖怪博士の回答編が始まったと思い、にやっとした。ここが聞き所なので。
「二十日鼠でしょ」
「ハツカネズミですか」
「白い鼠です」
「見たことがありませんわ」
「だから、驚かれらのでしょ」
 編集者も意外だったようだ。ひねりがない。要するにマウスだ。実験用に使う、あれだろう。
「白い雪。白銀とも呼びますなあ。晴れた日に限られますが、光って見える。まさに銀色に。一面の銀世界というのも晴れた日に限られる。白と銀との違いは、発光しているように見える質感の波長の違いでしょうなあ。金色というのは作れません。金を使わないと。だから黄色で代用する。銀もまた同じ。これは絵の具の白を使うしかない」
 要するに生まれて始めて見たハツカネズミが偶然日が差し込んだ箪笥の横にいた。それで銀色に見えた。という錯覚。
「ああ、なるほど」と、老人は相槌を打った。納得してもらえたようだ。
 しかし、編集者は面白くない。マウスをなどいくらでも見ることができる。
 帰るとき、庭先で老人は何度も礼を言った。
「それよりもご主人、あの三階のことは世間に内緒にしておいた方がよろしいですぞ」
「はい、そののつもりです。先祖の悪口は聞きたくないので」
「そうしなされ」
 白銀よりも、もっと凄いお宝をこの老人は持っている。素人目で見ても、あの釈迦像は世に出すと危ないだろう。
 草いきれがする季節になっているのか、いい匂いがする。その道を下りながら「無駄足でしたねえ博士」と編集者は残念そう。
 妖怪博士は田舎饅頭を食べ過ぎて、胸が悪くなったのか、編集者のリュックのペットボトルのお茶をがぶ飲みした。
 
   了


2020年5月4日

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