小説 川崎サイト

 

喫茶店のヌシ


「おや田所さん、今日は道が違いますが」
「ああ、最近行きだした喫茶店、今日は行くのをやめましてね。それで今日は方角が違うわけです」
「そうですなあ、この道で田所さんと遭遇するのは珍しい。この先に喫茶店などありませんよ」
「少し遠いですがね、隣町にあります」
「ありましたか」
「あります。煙草は吸えませんがね」
「最近煙草が吸える喫茶店を見付けたといって喜んでいたじゃないのですか。それがどうして」
「普通の喫茶店ですからねえ、どうしても五月蠅いのです」
「五月蠅い?」
「やかましい」
「混んでいる?」
「それほどでもないのですが、ヌシがいるんですよ。それも複数」
「常連さんですな」
「行く度に別のヌシがいて、いずれもカウンター席にいます。店の中央部。どのテーブル席からも声が丸聞こえ。それが五月蠅くてねえ。聞く気はなくても耳に入る。本に集中できない」
「まあ、そういう場ですよ、喫茶店は。喋りに来るんですよ」
「ところがヌシが複数おり、それが牽制し合っている。先にカウンター席に座ったヌシと、そのあと来たテーブル席に来たヌシ」
「火花ですか」
「そこまで露骨じゃありませんが、カウンターのヌシにツッコミを入れる」
「攻撃的ですなあ」
「いや、カウンターのヌシが勘違いした発言をする。物知り顔でね。断定的に言う。しかし、知っている人ならそれは間違いだと分かる。だが、敢えて突っ込まない。恥をかかしますからね」
「それをもう一人のヌシが突っ込むわけですか」
「恐れながら申し上げますと姿勢は低いですが、間違いの指摘です。動かぬ証拠を出してきて、ほら、あなたさっき言ったの、違うでしょ、とね」
「じゃ、カウンターのヌシは赤恥ですか」
「それは上手く誤魔化しましたがね」
「間違いを認めなかったのですね」
「話を逸らしました」
「ほう」
「そういうのを見たくないし、聞きたくない。だから、あの喫茶店へはもう行かない」
「でも煙草が吸える喫茶店を見付けたといって喜んでいたじゃありませんか」
「吸えなくてもいいから、本が読みたい。私は喫茶店でしか本を読まないのでね」
「ヌシは他にもいるんでしょ」
「います。ヌシしかカウンター席に座れない。だから、座った人がヌシです」
「じゃ、ヌシが座っているときは、他の客は座れないのですね」
「テーブル席がありますから、満席になることはない。敢えてカウンター席に座らなくてもいい。しかし、ヌシがいないときは、普通の客が座っていますがね。その場合、二人連れでないと駄目なんです。一人で座ると、ヌシとみなされる」
「誰が」
「そういう雰囲気なんです」
「まあ、喫茶店にはヌシがいるでしょ」
「それはいいのですが、複数いるので、ややこしい」
「それって、本を読んでいるより、見応え、聞き応えがあるんじゃないですか」
「そうですなあ。一寸したドラマですなあ」
「でも、面倒なので、行くのをやめたわけですね」
「そうです。私は本に集中したい」
「でも、隣町の喫茶店は禁煙でしょ」
「ええ、最近禁煙になったようですが、何とかなるのです」
「ほう」
「表の歩道に看板とかを置いています。そこに椅子と空き缶が出ているのです」
「ああ、吸えるように」
「そうです。それに硝子張りでドアも硝子、内と外の関係が曖昧な店でしてね。吸いたくなれば、さっと移動すればいい。外からも内からも見えていますからね」
「なるほど、色々とあるのですねえ」
「お、長話になった」
「田所さんは話題豊富だ。あなた、喫茶店のヌシになれますよ」
「よしてください。私は喫茶店へは読書タイムとして使っているだけなのでね」
「ああ、そうでしたね」
「じゃ、行ってきます」
「はい、お気を付けて」
 
   了


2020年5月6日

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