小説 川崎サイト

 

再開


 再会もいいが、再開もいい。再会は人だろう。再び会うということだが、期間にもよる。昨日会った人と、今日また会うというのは、再会としては短すぎるが、もう二度と会うことはないはずの人と、偶然出会ったとすれば、これは再会だ。常に会っている人なら、再会とはいわない。
 再開は人も関係するが、場所や、建物。店屋でもいい。またイベントでもいい。中断していたイベントや行事やプロジェクトなど。これは止まっていたものが動き出す。
 閉じていたもの、閉ざしていたものが再び開く。それが日常の一部なら、その日常が消えていたことになる。日常の全てではなく、一部だが。
 その場所へ行っても、閉じているので何ともならない。だからそこへ行くことはなくなる。
 閉鎖されていた場合、解除だろう。これも日常の一部になっていた場合、閉まっているのだから、行くことはないが、それに代わるような所に行ったりする。それは日常生活上、必要なためだろう。だが、省略してもいいようなものも多い。
 代用。それもいいが、いつもとは少し違う。逆に代用の方がよかったりすることもあるが、やはり慣れていないと、それこそ馴染めなかったりする。
 再会には喜びが付きもの。再開でも同じ。だが再会で嫌な目にあうことが結構ある。人相手のためだろう。再開の場合、人とは関係しないこともあるので、安定している。再開前と再開後の様子にさほど変化はないためだ。
 これは赤ちゃんが喜ぶ遊び「いないいないばー」に似ている。一度隠れる。そして出てくる。赤ちゃんはそれで安心する。いつものものを取り戻したためだ。世界が消える。世界が戻る。
 具体的な再会や再開ではなく、再び巡り会うために動いているという節もある。それが「あのころに」であったり「あのとき、ちらっと垣間見た夢のような」とかでもいい。
 一度体験していないと、再会も再開もない。最初の体験が疑似体験の場合もあるが。
 どちらにしても何かを取り戻す。これは結構ネタとしては大きく、人生規模。国家規模にもなったりしそうだ。
 また、失うまで、それほど大切に思っていなかった事柄もあり、代理や代用を探しているうちに、どんどん失ったもの閉じたものの価値が出てくることもある。
 
   了

 


2020年5月23日

小説 川崎サイト