恐怖小説
川崎ゆきお
恐怖小説を読むと体調が悪くなる。 何かの祟りだろうか。 以前はそんなことはなかった。 私だけに起こる偶然かもしれないが、その後、読むのが怖くなった。 きっと何の因果関係もなく、その本を読む時期と体調が悪くなる時期とが重なるだけなのだ。そう考えた方が説明しやすい。 しかし、そのパターンが私の中で起こることを意識すると、続きが読めなくなり、読みかけの文庫本を閉じた。 そして、二度と開く気にはなれなかった。 これで三冊目だ。 いずれも最後まで読んでいない。読み続けると、さらに体調が悪くなるためだ。 ★ 私はその文庫本を押し入れの奥に投げ込んだ。 ★ 恐怖が体調によくないのかもしれない。 心配事があると病気にかかりやすいと聞いたことがある。恐怖とは心配することなのかもしれない。あらぬ事を心配し、神経質になる。 それで自己治癒機能が狂うのだ。 前の二冊は既にゴミの日に捨てた。家にあるだけでも気分が悪くなるからだ。 その二冊も今回のも内容がリアルすぎた。いずれもここ数年前を舞台にしており、今の現実と変わらない設定だ。 怪奇小説と呼ばれていた頃の作品は作り物の世界で、現実とシンクロする間合いが低かった。絵空事だったのだ。 しかし、ホラー小説と呼ばれるようになってから恐怖の質が変わった。 実際にあるかもしれないと思えるような怖さがあり、それは読み物としての楽しさではなく、いかに精神的ダメージを与えるかというような鋭利な描き方なのだ。 体調を崩した三冊は、いずれもそのタイプの小説だった。 ★ 私は散歩に出た。 災いの元を押し入れに投げ込んだので、体調も回復していくだろう。 前の二冊も、続きを読まないことで元に戻った。 私は昼間に寝る生活をしているので、散歩は夜となる。 徘徊老人と間違われるので、バイクで国道沿いの本屋やファミレスへ行く。深夜でも開いている本屋は有り難い。 その夜も本屋へ寄り、文庫本の棚を物色した。のんびりとした山手樹一郎の時代劇小説でも読みたかった。まだ読んでいない作品が残っていたので、それを買った。 そして、少し行ったところにあるファミレスで、時代劇調の活字を追った。 ページをめくるにつれ、いつもの私のペースを取り戻すことが出来た。 時代劇小説と私の世界とがリンクしているわけではない。むしろ恐怖小説の世界の方が私の世界に近いのかもしれないが、それは私が求めている雰囲気ではない。そういう世界には住みたくない。 ひと心地ついたので、ファミレスを出た。 ★ 家に戻ると押し入れが少し開いていた。 しっかりと閉めたはずだが確認したわけではない。 また、今までも閉め忘れたことがあったかもしれないが、確認するようなことはしないので、こういうこともあるのかもしれない。 私は押し入れを開けた。 異常はない。 その奥に投げ込んだ恐怖小説が気になる。 押し入れが気になったのも、その奥にある恐怖小説の文庫本を気にしてのことだ。 体調を気にしているときは、身体の一寸したことが気になる。それと同じだ。 私は患部を見る感じで、押し入れの奥へ手を突っ込んだ。 しかし、文庫本の手応えは伝わってこない。 使わなくなった中古カメラや古い雑誌などが手に触れた。 その上部に文庫本が乗っているはずなのに、指先に当たらない。 私は頭にじんわりと汗をかいていることに気付いた。 その汗が前髪を濡らし、額を濡らした。 腹具合が悪くなっいる。そして冷や汗。 私はトイレへ走った。 ★ 翌日も夜に起きた。 起こされたと言ってもよい。 悪夢に魘され、息が止まりそうになったので飛び起きた。 処分しなかったことが問題なのだ。 あの本を捨てなかったのが問題なのだ。 私は押し入れを見た。 寝る前に閉めたので、開いていない。 もし開いていたら私は恐怖小説の世界を信じてしまい、その後の人生観を組み立て直さなければいけないだろう。 幸いにもその手間は省けたようだ。 ★ 私はファミレスで軽く食事をし、山手樹一郎を読んだ。この状態を治してくれる特効薬なのだ。 やがて、いつもの私のペースに戻り、恐怖の世界は遠ざかった。 気にするからいけないのだ。結論はそれだけで、非常に単純なことだった。 ★ 家に戻った私は悪者を一刀のもとに斬り倒す素浪人の趣で、押し入れを開けた。 そして奥に詰め込んでいた段ボール箱や樹脂製のユニットなどを引っ張り出し、奥まで見えるようにした。 恐怖小説は投げ込んだ。したがって何かの上に乗っているか、手の届かない箇所に挟まっているかだ。 私は電気スタンドで照らしながら、奥を見た。 恐怖小説は奥の壁に引っ付いていた。 人生観を変える必要はなくなった。 ★ 次の日から私は体調も回復に向かい、元気を取り戻しつつあった。 そして、いつものようにファミレスで本を開いた。 私は活字を追う間もなく、異変に気付いた。 脂汗が流れ、腹具合が悪くなった。 私は本をすぐさま閉じ、鞄に投げ込んだ。 その文庫本は、あの恐怖小説だった。 私は鞄の中をもう一度調べた。 山手樹一郎の文庫本はなかった。 恐怖小説は捨てたはずだった。 ファミレスへ行く途中に川があり、その橋の上から投げ捨てた。 ★ 私は、これからは本屋でブックカバーを付けてもらうことを断ろう……と決心した。 了 2003年5月23日 |