小説 川崎サイト

 

松ヶ崎


 思わず口に出している言葉がある。思っていないのだから、突然出てくるようなもの。口に出すが声には出さない。頭の中で軽くその言葉を撫ぜるだけ、喉には引っかからない。
 語呂、調子だろう。リズムのようなもの、短い歌だ。歌にもなっていないので、かけ声や合いの手のようなものだろうか。あらどうした、あ、よいしょ、こらしょ、などと似ている。座るとき、よいしょとか、よっこらしょと言うようなもの。
 ただ、その言葉が「まつがざき」
 松ヶ崎。
 これは地名だ。そして吉田はその町を知っている。遠い場所にあるので、滅多に行く用事はない。旅行というほどには遠くはなく、日帰りで軽く往復できる。
 どうして松ヶ崎という言葉が頭に浮かび上がるのか、浮かぶ前に口にしている。
 松ヶ崎と吉田の関係はない。そういう町があることを知っているだけで、通っただけ。だから松ヶ崎には今まで用事はなかった。だから印象が薄いはずなのだが、覚えている。これは語呂の問題だろう。何故か松ヶ崎と言ってみたくなる。しかし行く気はないし、一生ないだろう。また松ヶ崎に行く用事も考えられない。ただ、再び松ヶ崎を通ることはあるだろう。
 ここは山が迫っている町で、山には松が多い。その山の向こう側へ抜ける用事など、ほぼない。都市部の外れ、山を抜けた先はどんどん田舎くさくなる。山はそれほど高くはなく、丘に近い。
 それだけのことで、吉田にとり、松ヶ崎の意味はほとんどない。そこが注目ポイントでもないし、この先何らかのことが起こる場所でもない。
 松ヶ崎のような町などいくらでもあるだろう。
 だが、たまに頭の中に流れてくる松ヶ崎。中身よりも、この語呂、響きだけが快い。または気に入った調べなのか。
 松ヶ崎。そう思いながら、味わうと、結構ドラマチック、劇的な響きがする。松ヶ崎攻防戦とか、松ヶ崎の戦いとか。松ヶ崎であったことは語ってはならないとか、それなら松ヶ崎へ行くべきだとか、松ヶ崎の隠居を訪ねるべきでしょう。等々、色々と出てくる。
 松ヶ崎。気になる響きのある地名で実在しているが、吉田の中では中身はカラだ。
 暇なとき、行きたい場所がないとき、冗談で、この松ヶ崎を訪ねてもいいと、吉田は思った。しかし、思うだけで、実行しないだろう。
 
   了
 


2020年6月7日

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