小説 川崎サイト

 

茶碗の大小


 日々の変化はちょとしたことで起こる。当然ちょっとではない大きな変化だと、それどころではないが。
 ちょっとした変化はちょっとしたことが原因。その原因は不都合とか、不満とかから来ることが多い。あまりよくない、快適ではない。または苦しい。いずれも日々やってきていることなので、それほど苦しいわけではない。苦悶し続けるのなら、これは日常話ではないだろう。だからもう少し改善すればいい感じになる程度。それで快楽を得られるほどのことではない。何せ日々なので、そんなに毎日快楽に浸れるようなことなどないはず。それに疲れ果てるだろう。
 だから、ここではちょっとした改善。よくなるといってもしれている。ただ、今までよりもよくなる程度。日々のことなので、それで十分だろう。毎日のことなのだが、それが積み重なると大きい。
 たとえばいつも使っている茶碗。昔ほどにはたくさん食べない。だからこんな大きなご飯茶碗は必要ではない。しかし、別に不自由はない。だが、ご飯の量と合っていない。それを小さい目の茶碗に代えるような話。何でもないことだ。大きな決断は必要ではないし、人生も変わらない。運も変わらない。
 これは改善というにはあまりにも些細、細かい、小さい。しかし代えてみると、すっきりする。身の丈に合った暮らしということではなく、胃の大きさに合った茶碗。胃の大きさは変わらない場合、食欲に合った茶碗。これで、何となく纏まりというか整合性に近いものが得ることができる。その満足感が来る。来ても人生は変わらない。
 変化は不都合とか、何か調子がよくないとか、そういったマイナス面から来ることが多い。積極的に新規なものを得に行こうとするよりも。
 ただ、差し迫っていないので、別にしなくてもいいことだ。
 当然そういったバージョンアップなり、調整をしており、常に更新状態にある場合でも、以前のものの方がよかったりすることもあり、戻ることもある。やはり大きな茶碗の方がよかったとか。
 日々変化する。しかし変化を促している意思がある。自然にそうなったということよりも。
 
   了
 
 


2020年6月10日

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