小説 川崎サイト

 

地下街人


「話は聞いた方がいい」
「急いでいるものですから」
「じゃ、仕方がない」
 地下街に妙な人物がいる。急に通行人に話しかける。
「話は聞いた方がいいぞ」
「何でしょう」
 今度は暇そうな、別に急ぎの用もないような青年。
「聞く耳はあったか。それは幸い」
「何でしょう」
「この地下街、いや地下通りというべきだろう。地下道じゃ」
「ここは地下の商店街でしょ」
「拡張されてな。また、新しい穴を掘って広げておる」
「それが何か」
「この地下街は迷路。迷路にはトラップがある」
 要するに、こういう人物が飛び出してきて、話しかけてくるのだろう。
 青年は会話不足で、ここしばらく、はいとか、いいえとか、お願いしますとか、これ下さい。はいOKです程度の言葉しか発していない。長くて三ラリーほど、しかも短い。それで、会話に飢えていたのかもしれない。もしかすると喋れないようになっているのではないかとは思わないが。
「地下街には妙な通路があってな。そこに迷い込むと出てこれなくなる。これを不帰のダンジョンとも呼ばれておる。誰も帰れた者、戻れた者がいないので、その証言がない。だからあくまでも噂じゃが、実はそうではなく、戻って来た者もおる。そうでないと、そんな噂など流れんだろう」
「そうですねえ」
 青年はもっと長い目の返事をしたかったのだが、言葉が編めない。
「その話とは別に、わしが体験した話をしよう。何らかの参考になると思われるのでな。これは世の中には不可思議なことがあり、見た目通りのこの通りも、違う通りへと繋がっておる。わしはそのひとつの通りに入り込んだことがある」
「はい」
 はい、だけでは頼りないのだが、割って入るだけの質問もない。聞きたいことがあるはずだが、これも纏まらない。
「この地下街、地下二階まである。さらに実は繋がっておってな。地下の街ができておる。そこの人達は地上にたまに上がる程度。地底人ではなく、この地下街を普通に歩いておる人達と何ら変わるようなところはない。じゃが、違うのじゃ」
「あのう、そのう」
 で、青年は縺れた。
「わしはその地下の街に迷い込んだことがある。そして二度とそこへは辿り着けん。まあ、行けたとしてもどうなる。何も得るところがないはず。儲かるような話ではないが、何かの取引が出来そうな気がするが、入口が分からんようになったので、何ともし難い」
「よよよ要するに」
「ヨヨヨ?」
「いえ、咳き込んだだけです」
「君は咳き込むとヨヨヨとなるのか」
「はい、気にしないで下さい」
 青年の会話能力が少しは戻ったようだ。その調子だ。
「ああ、さて、何だったか。どこまで話した」
「取引」
「おおそうじゃ、そこまで話したなあ」
「そのあと、どうなるのですか」
 青年は普通に話せるようになった。それに自分で感動しており、妙な人物の話よりも、話せることで安心した。
「世の中には隠されたものが色々とあることをわしは知った。この地下街を歩いている者だけが人間ではない」
「う」
 青年は今度は本当に何も言うことがなかったのだろう。ただの合いの手になった。折角戻った会話力を活かせない。
「わしが話したいのはそれだけじゃ。何かのセールではないし、サギでもない。純粋なものだ。それだけを人に伝えたかっただけ。君はそれをよく聞いてくれた。それでわしは満足じゃ」
 青年は、特にコメントはなかったので、何も口にしなかった。
「じゃあな」
 と、妙な人物は歩きだした。
 青年はポカンとそれを見ている。
 久しぶりの会話だが、会話の中身は普通ではなかった。
 
   了


2020年6月23日

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