小説 川崎サイト

 

普段


 普段、ないようなことがたまに起こる。しかし蛍光灯が切れたとかは普段あること。これを異変とはいわない。しかし、原因が分からないことで、いつものようにできないことが発生した場合、異変かもしれないと思うこともある。これはただ思っているだけだが、理由が分からないので、いくらでも広げられる。
 まさかそんなことまで想像していたのかと、怖いところまで考える人もいるだろう。所謂賢い人ではなく怖い人だ。そこまで考慮内に入れるわけなのだから。
 要するに理由、原因が分からないと、そのような憶測が飛び交ったりする。蚊のように飛んでいるわけではないし、また個人で完結しているようなことなら、頭の中から湧き出した蚊が飛びまわっているようなもの。数匹飛んでいるので、どれが正解の蚊なのかは分からない。
 人はそうして憶測の蚊を飛ばす。式神のようなもので、想像の怖さだ。それがリアルに見えてくると始末が悪い。それこそ式神にやられているようなもの。
 また、それらの蚊は妄想のようなもの。ただ、ごく一般的な常識的な蚊もいる。普通ならそう考えるだろうという程度の想像だろう。
 しかし最悪のことを考えてもいい。原因が分からないのだから、最悪まで入れてもいい。しかし、この最悪、どこまで掘り下げるか、または広げるのかは個人による。宇宙の崩壊まで考慮に入れる人は希だろう。日常内で起こった異変程度なら隣近所までの範囲。
 普段とは違うことは常に起こっている。それが単純なことで済む良性ならいいが、悪性になると一生付きまとう災難の始まりだったりする。だから切れが悪い。
 単純な良性の変化は一寸した偶然などで起こる。理由は簡単だったりするので、深く考える必要はないが、いつもの道が渋滞しているので、別の道から行くような解決方法をとったとき、意外とその別の道の方が本来の道で、それに気付くことがある。一寸した変化で、コースが変わったのだが、こういう揺さぶられ方も悪くはない。良い結果が出たのなら。
 変化を求めているときは、できるだけ変化があるようなコースを辿り、あまり何もしたくないときは、普段のコースを踏み続ける。
 そして普段といっても色々とあった流れの中で定着したような事柄で、最初から定番としてあるわけではない。だから、その人の普段着を見ると、その経歴が分かったりする。今はそれが普段着だが、そこへ至るまでに、色々とあったはず。
 そしてこの普段、色々と揺さぶられるので、普段も普段からそれなりに変化している。
 
   了


2020年6月24日

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