小説 川崎サイト

 

実用品と観賞品


 世の中は色々なものがある。
 実用品と観賞品で分けてみると興味深い。普段使っているものはほとんどが実用品だが、見てくれのいいものがあるし、その形や色を気に入っている場合もある。実用性とは関係はないが、実用品の中にも観賞用が含まれている。ただ、それそのものが観賞品ではなく、飾っているだけのものではなく、実際に使っている。
 観賞品は観賞するだけ。また触れたりできるものは触るだけ。また香りを発しているものもある。それ以外にも色々とあるだろうが、実用性はない。
 だが、観賞品の中にも実用性のあるものもある。観賞用だが使えるのだ。むしろ実用品よりも使い心地がよかったりする。ただ、あくまでも観賞用で、実用性は低い。だが、低い実用性が何とも言えない趣があり、本来の実用品よりも優れていたりする。
 たとえば壺。何のための壺なのかは分かっている。瓶もそうだ。花を生けるのなら花瓶だろう。しかし、本来の使い方を一回もしないで、飾るだけのもある。これは最初から実用品として使うものではなく、最初から観賞用。しかし、使おうと思えば使える。
 国宝級の茶碗で、お茶漬けをすれば最高だろうが、そんな機会は誰一人としてない。だが、昔は普通にお茶を飲むための茶碗だったのかもしれない。
 実用品はないと困り、暮らしや仕事にも差し障る。靴がなければ外へは出られないだろう。下駄や草履があるので、問題はないという話ではない。
 これも実用的な靴、それはその人にとって都合のいい靴で、履きやすい靴だろう。靴なので履いていくらなので、それがメインになるが、色目や質感なども加わる。そこが気に入って買う場合がある。また履かないで飾っているだけの靴もあるかもしれない。個人の自由だ。
 怖い映画なら怖さのレベルの高さで、高いほど実用性は高い。怖い目に遭うために見るのだから。
 しかし、その実用性よりも、何らかの雰囲気が好きで、見ることがある。実用性としては低い。それほど怖くはない。だが、ホラー映画の部類に入っているので、怖いことは怖いが、弱い怖さ。
 この場合、実用性一点張りではないものが含まれている。
 実用性だけではなく、観賞性というか、趣とか、雰囲気とかの、今一つ曖昧なものにも価値があるのだろう。まあ映画なので、実用性という言い方はおかしい。全て観賞用だが、怖さを実用と言えるかどうかは分からない。
 しかし、観賞は非実用かというとそうでもない。気持ちの上で役に立てば、これは実用だ。
 また実用一点張りで遊びがまったくないもの。実用の塊のようなもの。それが意外と美しかったりする。観賞用としては最高級のレベルだとすれば、実用と観賞で分けられなくなる。
 実用品はリアルだが、観賞品はイメージだ。
 だが、どちらにもその要素があり、イメージ的な実用品もあれば、リアルな観賞品もある。
 分けると無理が出る。
 
   了


2020年6月25日

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