小説 川崎サイト

 

暑気狂い


 まだ真夏ではないが暑い日、上田はいつものように駅へ向かった。駅前で買い物をするためだ。古い商店街が残っているが、アーケードはない。駅まで続く道にポツンポツンと商店がある。普通の家の方が多いのは、店じまいしたためだろう。しかし商店跡だった形が少し残っている。ただの家だが玄関の間口が広い。
 梅雨のさなかだが、そういうときの晴れ間は意外と真夏よりも暑い。
 上田は別に気にしてはいない。この時期ならそんなものだろう。もっと暑い日が数日前にあった。それも梅雨の晴れ間だ。晴れているだけでも幸いだろう。暑いのはいらないおまけだが。
 商店街に入りかけたとき、横を走り去る人がいた。横道から飛び出てきたのだろう。しかし走り方がおかしい。
 さらに進むと、向こうからこちらに向かって駆けてくる人がいる。中高年の婦人で日傘がガタガタ揺れている。日傘を閉じればもっと走りやすいはず。しかし日焼けしたくないのだろう。
 婦人の傘が閉じた。いや、消えた。落ちたのだ。そして婦人もペタンと転んでいる。誰かが駆けつけ、二人がかりで抱えて、店の中に入れる。店の人が助けたようだ。
 しかし、その店の人も、何か髪の毛がおかしい。逆立ちしている。これも似た世代の女性で、大きく長いゴムの前掛け姿。豆腐屋だろう。その豆腐屋の女将が今度は走り出した。医者でも呼びに行くのだろうか。しかし救急車を呼んだ方が早いはず。
 豆腐屋の女将は、上田の方へ走ってきた。
 ぶつかりそうになるので、上田は横へ避ける。そのとき女将の顔を見たが、鬼の形相。豆腐屋の女将が硬い鬼に変身したわけではなく、何か表情がおかしい。怒りの顔ではないものの、そんな顔の筋肉の使い方など、平常ではしないだろう。喜怒哀楽のレベルを超えている。
 上田は豆腐屋の前まで来ると、先ほどの日傘の婦人が起き上がり、豆腐屋の中で暴れている。
 近くには誰もいない。豆腐屋の女将は出たままなので、無人かもしれない。
 日傘の婦人は日傘を振り回して、その辺の物を叩き壊している。いったいどんな恨みがあるというのだ。それに助けてくれたのは豆腐屋の女将ではないか。
 上田は暑くて正常にそれらを見る判断を失ったわけではないが、何か朦朧としていることは確か。上を見ると眩しくてよく見えない。陽射しが強いのだ。
 それで、日陰に入り、駅へと向かう。駅舎は既に見えているが、その通りは無人。この商店街で一番賑やかなところなのに、誰もいない。
 左右の店屋を見ると、開いているのだが、人はいない。
 そして駅の方を見ると、人が出てきている。電車から降りてきた人達だろう。
 だがその人の群れが何かぎこちない。遠くからなので、一塊に見えるが、その塊の動きがギクシャクしている。
 上田は危険を感じ、横の店屋に入ったが誰もいない。大勢の人の群れが駅から湧き出て、こちらへ押し寄せてきていることは確か。
 その群れは全員走っている。駆けている。
 そしてどの顔もどの顔も凄い形相だ。
 上田は、店屋の棚に隠れ、行き過ぎるのを待った。
 そして、それまで見たことの感想を一言だけ漏らした。
 暑い日だ。狂う人もいるだろう。
 
   了


2020年6月28日

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