小説 川崎サイト

 

見知らぬ下車客


 通りかかった古本屋の店頭に斜めになっている本があった。誰かが手にしたあと、元の場所に置かなかったのだろう。しかしそこは一番安い本が平積みされており、その下には段ボールがあり、そちらは文庫本が詰まっている。地べたに展示だ。
 それに比べると斜めに置かれているのは単行本で、しかもハードカバー。見知らぬ下車客がタイトルで、作者は知らない人。そんな作家がいたのだろう。当然タイトルからするとフィクションもの。つまり小説だと思われる。そういう装丁にもなっているので、これは間違いない。
 これだけのこと。武田の頭の中では一瞬で、手ににしていない。
 ただ、斜めだったのが目立っただけ。問題は斜めであり、本のタイトルではなかった。斜めは目立つ。
 この古本屋の前はたまに通るが、中に入ったことはない。探すほど読みたいと思うものはなく、また、何か読むものはないかと、棚を覗くこともしない。おそらく適当な本を見付けて、適当に読めばいいのだろうが、そんなことで時間を潰す時間がない。
 これが閉鎖空間の船内にある古書店なら、読めるようなものを探し、買うかもしれない。長い船旅なら、暇で仕方がないためだろう。
 しかし、船内や機内、車内に古本屋があるとは思えないが。
 武田は古本屋で一瞬立ち止まっただけで、そのまま目的地を探した。このあたりに画廊があるはずで、できたばかり。案内のハガキが入っていたので、どんな感じだろうかと、少しだけ興味がいった。武田は画家なのだ。
 だから先ほどの本もタイトルではなく、装丁の方が気になる。当然斜めに置かれていたのも気になった。そのあたりに敏感なのだ。中身よりも表面、皮一枚で、印象がどれだけ違うか。
 画廊はクリーニング屋跡だった。その前は何かもう忘れたが、古臭そうの商品を売っている店。たとえば呉服屋とか、そんな感じだ。消えるべきして消えているのだが、クリーニング屋に変わったが、それも潰れたのだろう。受付だけのあるよく見かけるチェーン店だった。今でも看板だけが残っているクリーニング屋がある。朝出して夕方バッチリとかの幟がよれたまま傾いていたりする。
 クリーニング屋の受付程度の敷地だと、画廊としては狭すぎるはずだが、母屋側まで使っているようだ。呉服屋か何かだった普通の店だったので、それぐらいの広さがある。
 外装はほとんどそのままではないかと思える。画廊ではなく弁当屋でもいけそうだ。
 中をちらっと見ると、絵がかかっている。既に誰かが借りているのか、オープニング用のものなのかは分からないが、抽象画だ。それをちらっと見た瞬間、武田は興味を失った。
 そんな抽象画を見るのなら、先ほどの斜めに置いてあった見知らぬ下車客の姿の方が上等だ。
 武田は戻るとき、その古本屋へ寄り、本当に買おうかと思った。
 そして、店頭に立ったとき、その斜めがない。
 その近くを探したが、見知らぬ下車客は見当たらなかった。
 見知らぬ客が買っていったのだろう。
 
   了


 


2020年7月6日

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