小説 川崎サイト

 

イメージ


 人はイメージに弱い。具体的なものよりも、このイメージが優先することがある。そして、高い代償を払わないと、そのイメージは得られないことになる。ただ、頭の中にある虚像のようなものは、その中で完結してしまえば安上がりだ。
 イメージがイメージとしてあるのではなく、具体的なものが必要。そうでないと現実的に存在しない。この現実とは、自分だけが見えているのではなく、他の人でも見えているもの。石でもいい。石もイメージだが、そういう面倒な話ではない。
 イメージには高い値が付く。具体性は同じものであっても、イメージの差が出る。
 誰でも知っている名画と、それに近いものを画いた無名の画家とでは違うだろう。具体的にはほとんど変わらない。むしろ、できがいいかもしれない。しかし、有名画家の名がイメージとなり、また、それに纏わる話や、その取り扱われ方などもイメージとなる。絵を見ているのだが、実際にはイメージを見ているようなもの。
 まあ、絵そのものも現実から見ればイメージなのだが、それを具体的にしたのが絵。具体的とは、先ほどもいったように同じものを複数の人も見られることで、これは存在するという意味で現実だ。絵の世界は存在しないが、似たような現実の風景はあるだろう。富士山は絵の中だけにあるのではなく、現実にもある。
 そういったアートの世界だけではなく、生き方そのものも実はイメージに引っ張られたり、あるイメージに沿ったりしている。イメージの範囲は広い。自分自身が誰かの作ったイメージかもしれないし。自分で勝手に作ったイメージかもしれない。
「イメージに辿り着きました」
「ほう」
「これだったんです」
「もっと具体的に」
「具体的にはより満たされているのですが、それに劣るものの方がよかったりするのです。これは何だろうかと思いまして、考えていました」
「余計なことを」
「はい」
「イメージというのはそのものではない」
「そうなんです」
「大きく同意しなくても、誰でも知っていることだ」
「はい」
「具体的なそのものよりもイメージだけのものの方がよかったりする」
「そうなんです。具体性はやや欠けてますが、具体的過ぎると駄目なんです。もう現実ですから」
「現実にならない現実がいい」
「それはどうしてでしょうか」
「生だからだ」
「そうですねえ、あまり生々しくありません」
「現実化されていないが想像はできる。これだな」
「そうなんです」
「まあ、よくある現象だ。今更取り上げるまでもないだろう」
「はい」
「事足りるより、事足りないときの方がよかったりすることもある」
「満ち足りたときのことを想像しているときの方がよかったりしますからね。実際に満ち足りると、もう終わってしまいます」
「まあ、イメージの問題は難しい。それこそいくらでもイメージが湧き、その数だけのイメージ論ができる。それらも全てイメージなのでたちが悪い。そしてイメージだけでは駄目で、具体的なものがあってこそのイメージ。イメージはあとから来る」
「はい、学習しました」
「ほとんど役に立たんがな」
「そうなんですね」
「そこで同意されると淋しい」
「あ、はい」
 
   了


2020年7月14日

小説 川崎サイト