小説 川崎サイト

 

消えた角箸


「少し妙なことがありましてねえ」
「あなた、よく妙なことが起こるようですが」
「ほんの少しです。しかし、奇妙なことはよく起こります。気にしなければいいのですが、やはり気になります」
「それで、何がありました」
「箸が一本消えました」
「どこで」
「家で」
「じゃ、家の中にあるでしょ」
「それがないのです」
「箸を持ち出すようなことは」
「生涯通じて一度もありません。外で箸を使うとすれば割り箸。ああ、そうだ。あったあった」
「ほら」
「中学の頃、給食が出なくなったので、弁当を持って行くことになり、自分の箸を持っていきました。いつも家でご飯を食べる箸です。箸箱などは当然ない。それを布巾に巻いて持って行きましたが、その弁当、人に見せると恥ずかしいような、卵焼き一つだけとか、あとは色目だけが派手なふりかけとか」
「はあ」
「それと、おでんの残りのちくわ。これは最後まで家族の誰もが手を付けないので、残ったのでしょう。何故ちくわなのか、今でも謎です。あなた、分かります」
「ちくわの話ではなく、箸の話でしょ」
「はい、それで、弁当はもう恥ずかしくて持って行く気がしなくなり、購買部でパンを買って食べることにしました。それで外へ箸を持ちだしたのが、その僅かな期間です。それがどうかしましたか」
「なくした箸、外に持ち出したんじゃないのですか。だから家にはない」
「それはありません。持ち出すのなら二本でしょ。消えたのは一本です。それに中学時代以外、一切ありません。外で箸を使うときは割り箸。まあ、弁当を買えば付いてきますがね。遠足のときも割り箸。一回きりですからね。給食の弁当のように毎日じゃないので、使い捨ての割り箸でいいのですが、家にその割り箸が大量にありましたねえ。薪を積んだように。これは捨てるのが惜しかったようです」
「それで、なくした箸ですが」
「はいはい、探したが、ありません。妙でしょ」
「食べるときに箸を使ったのでしょ」
「当然です」
「そのときはあった」
「ありました。箸で食べました」
「そのあと、箸はどうなりました」
「そのままです」
「そのままとは」
「ご飯が済んだ状態のまま。おそらく箸は茶碗の上に乗せたと思われます。いつもの癖です。丸箸じゃ滑る。だから、私の塗り箸は四角い。だから滑らない」
「箸がないことに気付いたのはいつですか」
「後片付けのときです。茶碗の上に一本しか箸は寝ていない。もう一本あるはずなのに」
「テーブルや下を見ましたか」
「当然です」
「それで消えたと」
「落ちて転がったのではないかと思い、そのへんを探したのですが、そんなに遠くまで行くはずがない。それに転びにくい角箸ですからね。それで、行方不明のままです」
「それは妙な話ですねえ」
「そうでしょ」
「冗談はそれぐらいで、実際には箸は何処で見付かりました」
「本当に消えました」
「あ、そう」
 
   了



2020年8月3日

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