小説 川崎サイト

 

夏の道


 夏の道が続いている。ただ暑いだけの道中で、これが寒くなれば冬の道。同じ道だが季節により違う。当然春は春の道になる。路肩に春の草が現れたりする。春の七草の中の一つぐらいは見られるだろう。秋も秋の道があり、これはある日、いきなり彼岸花が真っ赤に咲いていたりして驚く。昨日まで何もなかったのに。
 さて、今は夏の道、児玉はこの夏の道が一番好きだ。暑いが道が明るい。沿道も。道の先に巨大な入道雲が湧き出ていると、まさにエネルギッシュ。それが児玉にも伝わってくる。
 それを見ていると、児玉は不思議と一年の終わり、今年もこれで終わりだと感じる。まだ年末まで秋も来れば冬も来る。しかし児玉は早い目に年の終わりを感じる。ここがピークで、あとは下り。その下りは来年に続いており、その来年の今頃の夏の道へと繋がっている。
 しかし、そんな詩人をやっている場合ではないので、児玉は先を急ぐ。しかし急ぐと汗をかく。そのため、少しだけ歩を強める。歩幅は広げるか、回転を速めるかは随意。その日によって違うし、また目的によっても違うようだ。大股になるときと、小走りに近いほどになるかは。
 その夏の道、日影がない。建物はあるが、低いし、道に影が出る時間帯ではない。街路樹はなく、木陰もない。
 真っ白な道に見えるのはこの季節だけ。そして、その道は車が少ない。だから、真ん中を通れる。
 その道は遙か彼方まで続いているが、そこまで付き合えないので、いつもの交差点で右へ入る。夏の道を続けたいところだが、その先には用事がない。
 夏の道から外れると、ゴチャゴチャとした市街地に入る。建物も高くなり、日影もできるので凌ぎやすいのだが、何か風情がない。しかし、用事がある場所は大概は風情がない。
 そして用を足して戻るのだが、次は別の夏の道へ入る。先ほどの長く伸びた夏の道と違い、一本道ではないが、道筋が変わるので、変化も大きい。
 児玉が好きなのはアパートや長屋などが集まっている場所。その中には用がないので、入れないが、中庭ができている。余地だろうか。そこに住んでいる人の庭ではない。借りているのだから、借主の庭ではない余地。庭とも言えないような余地。それが意外と広く、地肌が出ている。運動場の眩しい白さに似ている。
 三輪車などが止まっており、野ざらしのままのバレーボールが溝に挟まったまま放置されている。抜けなくなったのだろうか。しかし、一寸力を入れれば取れるだろう。だが、取る気のある人がいないようだ。
 児玉はそういうのをいつも眺めながら通過している。ちらっと見るだけで、ほんの数秒。
 夏の道、それはまだ当分続く。
 
   了




2020年8月6日

小説 川崎サイト