小説 川崎サイト

 

一人劇


 平凡な一日の中にもドラマがある。決してドラマチックなことではないので、大人しい。そして地味。だからそういうのは劇的とは言えないのだが、静かな劇もあるし、人が出てこない劇もある。自然界のドラマなど、人は出てこない。ドラマというより、営みだろうか。そこに何らかのドラマを見出すのは、人の営みと重ね合わすためだろう。
 ドラマには刺激がある。おおっというようなこと、展開。そしてメインは人と人との絡み。そこに劇薬のようなのが生じ、日常的で平凡な営みとは別な劇的空間が生まれる。
 岸田はその日は暑苦しくて、何もする気がなく、またこれといったこともないため、平凡な一日でいいのではないかと思った。だからやる気のないドラマになるので、感情を刺激するようなものがない淡々とした一日を希望した。
 それに暑くてダレてしまい、いくら楽しいことでもやる気が失せていれば、あまり楽しくはないし、いい刺激にはならない。
 マンネリというのがあり、これから抜け出すのが目的だったこともあるが、新たに生まれた刺激とか、好奇心とか、そういった程度なので、別にやる必要はない。
 日々、一寸した楽しみがあり、これを楽しみとして生きているようなものだが、今日はもう楽しまなくてもいいのではないか、普通でいいのではないかと考えた。そのほうが楽。
 しかし、これは休憩だろう。特に夏場はダレてしまい、暑さを凌ぐだけで一杯一杯。
 だが、いくら暑くても、汗をかきながらでも熱中するものがある。空気よりも気持ちの方が熱いのだろう。
 淡々とした日々、これは意外と難しい。少しでも楽しくとか、気持ちよくとか、美味しくとか、そちらを探すものだ。つまり活性化するような行為だろう。
 しかし、岸田はその日、もうそういうものはいいから、平凡な一日、ドラマ性の低い一日になってもかまわないと諦めた。そういう日とは、今日は何をしていたのかよく分からないような日。おそらく昨日と同じような日だろう。
 これといったことをしていない日。印象に残らない日。日記を書いているとすれば、昨日と同じで以下略でいい。日付だけが違っている程度。
 しかし、そんな平凡な一日でも、一寸したドラマはある。また波風も少しは立つ。刺激的なものも、一寸はある。規模は小さいが、それなりに変化している。これは心境もそうだ。
 今日は昨日よりもいいことがあるかもしれないと思うのを岸田はその日は諦めた。期待しないことにした。また作らないことにした。
 暑くてだらけているだけのことかもしれないが。
 
   了

 

 

 


2020年8月11日

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