小説 川崎サイト

 

お盆の頃


 お盆が近いのか、影が長く伸びている。日影が多くなるので、助かる。
 木下がまた今年もそんなことを思う盆の頃。盆といえば盆から先はおらぬぞという何か淋しい歌。また、お盆までには何とかせよというような言葉。これは毎年聞いていた。この何とかとは一年ものだろう。正月までには、新年までにとは言わないが、年末までには、は言う。しかし年末までは仕事が多い。お盆まではプライベートなことが多い。
 さて、今年のお盆。そのお盆までにはというのが今年はない。そして、ないときは自分で決めたりする。これは命令だ。しかし先延ばしになる。お盆までには、は守らなくてもよかったりする。目安だ。
 今年はその目安があったのか、なかったのかは忘れた。他の季節、たとえば桜の花が咲く頃などもあるし、涼しくなる頃までには、とか、涼しくなってから、なども加わる。当然冬が来る前に、という定番もある。
 木下は、いずれもそういうのを果たしたことがない。だからもう作らない。そして長期予定も。これはできなかったとき、果たせなかったとき、少し反省するため。別に責められるわけではないが、残念な念が残る。それで次の機会まで伸ばすのだが、次は次で、またできていないので、さらに先へ。そのうち忘れていたりするし、もうそういうものを作らなかったりする。どうせ果たせないのだから。
 さて、今年のお盆だが、木下は特に何もない。日影の長さを見ている程度。そしてお盆という実感がない。いつ始まり、いつ終わるのかは知らない。お盆休みというのも曖昧で、お盆が過ぎてから休む人もいる。
 お盆はカレンダーには載っていない。スケジュール帳にも載っていない。土地によりお盆の日が違っていたりする。また新盆や旧盆があり、ややこしい。 影が伸びたので、歩きやすくなった路地を木下は歩いている。いつもの散歩道。日の丸が揚がっている家がある。祭日かもしれない。お盆は祭日にはならないと思うので、何かの日だろう。それにまだお盆は来ていないはず。
 日の丸は一軒だけで、その後は見ない。
 路地の先に大きな施設があり、木下は行かないが、その前の道で交通整理をしている人がいる。これは土日祭日にしかいない。今日は平日。だから祭日なのだ。
 大きな道を少しだけ進み、次の枝道に木下は入る。下町の静かな道。普通の家が左右に並んでいる。そしてまた影を見る。今度は太陽の位置が違うので、いい影はできていない。
 そこを抜けると私鉄の小さな踏切がある。渡るとき、犬の糞を見た。こんなところでやったのだろうか。よりにもよって。そして電車が来るので踏切が閉まり出す。犬も飼い主も、逃げ出す。始末をする暇もなかったのだろう。
 一体どういう犬だ。わざわざそんな場所を選ばなくてもいいのに。
 踏切を渡ると街路樹のある歩道に出る。ここは涼しい。
 蝉がボタボタと落ちている。蝉採り網など必要ないだろう。蝉拾いでいい。
 しかし、蝉採りの親子がおり、声が聞こえる。アブラゼミを見付けたのに、逃げられたらしい。まだ、そんな蝉がいるのだろうか。最近は同じタイプの蝉しか見ない。昔はもっと色々おり、クラスがあった。クマゼミなどを捕ると自慢だった。
 しかし、お盆に入ると殺生は駄目で、蝉採りも魚採りもできなかった。
 その街路樹の歩道を途中で曲がり、また住宅地の中の小道に入る。生活道路だ。
 この散歩、大きな目標ではない。また目標にもならない。しかし、こういうことは強い意志がなくても実行できる。
 そのあとも木下は意味のない散歩を続け、残暑にやられる前に戻った。
 
   了

 

 

 


2020年8月17日

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