小説 川崎サイト

 

お盆と施餓鬼


「お盆ですよ、妖怪博士。何かあるでしょ」
 いつもの妖怪博士担当の編集者が、珍しく訪ねて来た。暑いさなか、しかも妖怪博士宅にはクーラーはない。扇風機はあるが、妖怪博士は団扇しか使っていない。寝苦しい夏の夜でも眠れるのは奥の六畳が庭に面しているため。そこに庭木や草が植わっている。最初は何もなかった。しかし鳥が運んできたのか木が生えだし、今では数本の木が屋根の庇を越えている。そしてシダが生い茂り、これで涼しいのだろう。しかし編集者はクーラーがないので、夏場は寄り付かない。
 地面は緑。草だけではなく、苔が生えている。
「お盆ですよ、妖怪博士。何かあるでしょ」
「お盆か、その行事はしない」
「僕は帰省しようと思ったのですが、仕事が溜まっているので、無理です。今ここで休むと、あとがえらいですからね。それで、お盆ですが」
「今が盆じゃろ。今頃取材しても遅い」
「いえ、これは別件で」
「盆に関しては私は何も知らない。だから、聞くだけ無駄」
「お盆に出る妖怪なら日本で一番詳しいのではありませんか。そんなことを考えている人など何人もいませんよ」
「お盆は知らんが、妖怪なら知っておる」
「ほら、やはり詳しい。お盆の妖怪など知っている人など、滅多にいませんよ。お盆だとご先祖さんでしょ。幽霊じゃありませんが」
「お盆には餓鬼が出やすい」
「餓鬼」
「飢えて鬼になったんじゃ」
「餓死ですか」
「昔は多かったんだろうなあ。今でも餓死はあるやもしれんが、食べるものは街に出ればいくらでもある。死ぬほど腹がすいておるのなら、盗んで食えばいい。しかし昔や、地上の何処かではその食べるものがない。盗もうにも、それがない」
「もっと楽しい話を」
「その餓鬼という鬼に化したのをなだめるのが施餓鬼」
「そういうややこしい話はいいです」
「そうか。お盆の頃、御馳走が出る。ご先祖も帰ってくるが、餓鬼も付いてくる」
「ややこしいですねえ」
「ご先祖さんは帰ってきても姿など顕わさん。しかし餓鬼は姿を晒す。食べるためじゃ。しかし人がいると出てこない。寝静まってからお供え物を食べる」
「そんなことをしなくても、街中に出ればいくらでも食べるものがあるじゃありませんか」
「それならますます餓鬼になる。餓鬼から抜け出すため、供え物でないと駄目なんじゃ。これはご先祖さんの代わりに食べる。残すともったいないし、腐って汚くなるのでな」
「じゃ、餓鬼は供え物しか食べないのですか」
「そうじゃ」
「餓鬼は餓鬼であることを知っているのですね」
「何とか餓鬼から抜け出そうとあがいておる」
「その餓鬼がお盆頃に出るのですね」
「そういう言い伝えじゃが、これは色々なものが混ざって、間違いが多い。お盆に関係なく餓鬼に食べるものを施す行事もある。
「炊き出しのイメージですね」
「餓鬼が餓えるはいい。飢えておるだけ。しかし鬼が曲者。ここに鬼が付くから面倒な扱いになる。鬼の扱いは難しい」
「そういうのは全部言い伝えとか、想像なんでしょ」
「リアルの何かを反映しておるんじゃろ。しかし、鬼はいけない」
「鬼は何の反映ですか。よく使いますが」
「キックの鬼とかな」
「ああ、キックボクシングの沢村」
「人の力を越える。人外の領域に入る」
「神業ともいいますよ」
「その神が鬼なんじゃ」
「博士。もう少し楽しい話を」
「鬼をなだめる。これじゃな」
「そう断言されても、意味が」
「まあ、人は人の世の外側を想像するもの。そこは聖域でもあり、餓鬼が徘徊する世界でもある。だから人は人のことだけを思えばいい。鬼や妖怪のことなど考えずにな」
「鬼神を語らずと言うやつですね」
「ないものを語っても仕方がないが、逆にないもののことばかり語るのが人の常」
「はい、分かりました」
「どう分かったのじゃ。それに今頃お盆の話などしても、遅いじゃろ」
「いえ、お盆なのでどの月にでも運べます」
 妖怪博士は反応しなかった。
 
   了

 


2020年8月19日

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