小説 川崎サイト

 

下等遊民


 夏が終わり、涼しくなり出すと冷静になる。上田はそれでは困る。冷静な判断をしてしまうため。
 誰でもその程度の判断はできる。単純なことで、よかれ悪しかれ程度は子供にも分かる。
 おそらく上田が今やっていることは悪しきことだろう。しかし、一概にそうとは言えない。そこが微妙なのだ。
 さて、その判断、判定が出る。毎年、夏の終わり秋の初めにこのイベントがある。関所だ。大概は反省しないといけなくなるのだが、それは毎年。
 上田は夏の間、遊んでいた。悪い遊びではないが、遊ぶことが実は悪い。世の中には遊びは必要だが、程度がある。
 さて、涼しくなっての覚醒。これが怖い。既に怖いのが近付いている。
 夏場、夢中になっていたことも、秋頃になると、流石に飽きてくる。長い夏休みに飽きるようなものだが、ネタがなくなるのだろう。そのネタ切れと頭がクールになる時期とが重なる。これは判定としては不利。
 おそらく今までやっていたことが否定されるだろう。しかし、それに代わるものがない。ここが問題なのだ。
 間が持たなくなる。
 だから、下手に覚醒すると、藪蛇になる。建設的で前向きなことを考えるほど、危険な目に遭う。蛇を出してしまう。
 このまま曖昧な状態でいる方が安全だったりする。
 しかし、判断するのは上田自身。
「毎年秋の初めになると出てくるねえ、上田君」
「キリギリスのようなものです」
「それで今年も相談かね」
「そうです。どうすればいいのでしょう」
「そこがねえ上田君、私には意味が分からんのだよ。何をどうしたいのか、その意味がね」
「ですから、寝た子を起こすようなもので、そして起きても何ともならないので、寝かせておいた方がいいのではないかと」
「分かっているのなら、相談に来なくていいじゃないか」
「先生はどう思いますか」
「私はもう退職したので、何もしていない。だから隠居の意見になるから、君には当てはまらない」
「このまま酔生夢死でもいいのでしょうか」
「難しい言葉を知っているねえ」
「遊んで暮らしていますので、何か不安で」
「遊民というのがいる。今はどうかな」
「高等遊民とか」
「金があるんだろうねえ」
「じゃ、立派な遊民になればいいのですね」
「遊民が立派かどうかは分からないよ。遊び人の金さんは実際には御奉行の遠山様だった。遊び人じゃなかった。幕府の高官じゃないか。最初から立派な人なんだ」
「実は僕は」
「実は君には凄い本業があったりするのかね」
「ありません」
「遊んで暮らす方が地味な仕事をやるよりも難しい」
「先生は今そういう状態ですか」
「そうだね。これはまあ、自己満足度の問題でね。仕合わせと同じで、自分が仕合わせだと思えば、それが仕合わせ。そう思えるかどうかの問題なんだ」
「深そうですね」
「君はぶらぶらしてから何年になる」
「二年ほどです」
「青い青い。たったの二年」
「そうですか」
「今ならすぐに社会復帰できる」
「それで、迷ってまして」
「まあ、三年遊びなさい。桃栗だ。判断はその先でよろしい」
「じゃ、もう一年遊んでいいのですね。よかった」
「安心したか」
「はい、お墨付きを頂きました。安心して明日から生きられます。元気が出てきました」
「ほっとしたかね」
「はい、安心安全の」
「じゃ、もういいね」
「はい、お邪魔しました」
「うむ」
 
   了

 



2020年8月29日

小説 川崎サイト