小説 川崎サイト

 

一手の違い


「まだ暑いですねえ」
「夏が長引いているようです」
「たまりませんねえ。こういう日が長引くと」
「長引いていいこともありますからね」
「でも暑いのは、このあたりで終わって欲しいですよ。もう九月ですよ」
「コスモスの葉が濃くなってきました。そのうち咲くでしょ。私はこのコスモスのモヤッとした細く繊細な葉が好きでしてね。むしろ花びらよりも」
「そうなんですか」
「モミジもそうです。青いときがいいです。あの薄さがね」
「少し見所が違うのですね。でも長引く暑さは如何ともし難いでしょ」
「そのうち淋しくなりますよ」
「涼しくなるんじゃなく、淋しく」
「勢いが落ちていくものは哀れを誘います」
「でも今は暑くて難儀です」
「そうですねえ。しかし最後のあがきでしょ。去ってしまうと、暑かった夏を懐かしく思うものです。すぐに過去のもの、昔の遠いことのように感じてしまいます」
「でも、涼しくなれば、もう暑かった夏など思い出すこともないと思いますが」
「過去もそうです。去ってしまえば思い出す機会などほとんどない。もう今とは関係しない場合はさらにそうです。孤島のようにポツンとある記憶。繋がりが低いので、手繰れない。しかし、たまにそのポツンとした思い出のようなものが蘇ることがあります。これはいきなり来ます。すると、さっとその頃のことがワッと出てきます。そんなことがあったのかと今では意外なことがね」
「それはありますね」
「その過去のワンポイント、それがあるから今があるようなものです。何処かで影響しています。行き先がね」
「ほう」
「もしあのとき、というのが歴史でもあるでしょ。歴史が変わるような。しかし、過去の一寸したことでもいいのです。それがあるから今がある。だから忘れてしまったようなことでも、今と繋がっているのです」
「じゃ、一つ一つの出来事は大事ですねえ」
「何らかの影響を受けます。一寸した順番の違いとかもね」
「この長引く暑さも影響を受けますか」
「受けるでしょ。あのとき、少し涼しければできていたことを暑くてやらなかったとかね」
「ほう」
「一手の違い、歩の一つの動き、それらは全て流れを決めるものです」
「じゃ、日々は大事ですね」
「大事にしすぎて、一手遅れたりもしますよ。だからそれほど意識しないで過ごせばいい」
「この暑さ、どうしましょう」
「暑がっておればいいのです」
「そうですね。暑い暑い」
「はい、暑い暑い」
 
   了

 


2020年9月5日

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