小説 川崎サイト

 

快感


 快さはいい。一度その快さを覚えると、またそれを体験したくなる。当然その逆もある。猫は一度不快を感じたところには二度と踏み込まないらしいが、猫にもよるだろう。野良猫はプロなので、それを知っている。それだけうろつく範囲が広いため、経験も多い。そして見知らぬ場所へも行くはずなので、注意が必要。
 だが、飼い猫も、かなり遠征し、遠いところまで出歩いていたりする。
 快不快の原則のようなものがあるようだが、不快だからといって、踏みとどまるわけにはいかないのが人間社会。嫌なことでもやらないといけない。
 古河は快感に走るタイプだが、それで普通だろう。本来はそのようにできている。しかし、いくら快感を得ることが分かっていても、リスクがあることも知っている。だから、目の前に餌があっても飛びつくわけにはいかない。猫や犬でさえ慣れない食べ物に対しては警戒する。すぐにはかぶりつかない。匂いを嗅ぎ、いけそうなら、まずは舐める程度。
 古川の求めている快楽は可愛いもので、たわいもないことばかり。それはリスクが小さいためだろう。大きな快楽ではなく、ささやかな快楽。お金を使うこともあるが、小遣い銭程度のもので、それを超えると考え込む。それだけの価値が、それにあるのかと。
 それで、かなり考え、しかも何度も考え直した上、やっと買うことに決め、注文した。
 それが届いたとき、もう、どうでもいいかと思ってしまう。快感を得られるものなのだが、それは想像で、実際は違っているかもしれない。
 期待の方が大きいわけではない。しかし、期待外れもあるので、期待をしないようにしていた。
 届いたものをなかなか開けようとせず、一日おいた。開けた瞬間が怖い。開けただけではまだ分からないが、判定が下るようなもの。
 そしてその翌日、もう早く済ませたいので、開けてみた。快感も結構疲れるのだ。だから早く済ませたい。
 結果は期待内で期待外れでもなく、期待を超えたものでもなかった。
 だから、狙い通りのものを手にしたので、少し喜んだだけ。しかし、快感を得たという気がしない。それは予定されていた快感。快感を得て当然というもの。要するに意外性がない。あたりまえのことをあたりまえに得ただけ。
 そこで支払った値段分の快感を味わうのが筋だが、大したことはなかったのだ。金額のわりには。
 予定された快感。これは予定通りでないといけない。そして予定通り、早く通過したいと思ったりする。早く済ませたいと。
 これには大したリスクはない。小遣いが減った程度で、それだけで済む。他に影響は与えない。だから安全な快楽。
 だが、読み通りの快楽では、何か刺激がない。意外性がない。驚きがない。
 旅行やイベントに行くとき、出発したときから、終えたあとのことを考えているようなもの。目の前に快感がすぐにあるのだが、不思議と早く済ませたいと願う。これは快感がしんどいためだろう。快感も結構疲れる。それに快感だけなので、大した意味はない。余計なことといえば余計なこと。旅行に行かなくても支障はない。
 嫌なことを早く済ませたいと願うのは普通だが、楽しいことを早く済ませたいと思う心境はどこから来ているのだろう。
 快は快を呼ぶ。そして何が快感なのかも、また曖昧。
 快は求めているときの方が快感だ。
 
   了


2020年10月20日

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