小説 川崎サイト

 

分かっているだろうね


 ビジネスランチのトンカツの油が古いのか、胸焼けする。芯ばかりの真っ白な刻みキャベツを食べるが治らない。桜漬けもあったので、それも摘まむ。ここは酸っぱいものが欲しいところ。
 富田は水をがぶ飲みし、カウンター席を立った。狭いので、横の客に触れた。
 これを食べるだけのことでビジネス街に来たのだが、そこは繁華街と接しており、平日の昼間から遊んでいる人もいる。偶然休みの日なのかもしれない。
 富田が次ぎに行くのはガード下の二階にある喫茶店。隠れ家だ。分かりにくいところにあり、入りにくそうな店で、中が見えない。
 しかし富田はよく行っていた店なので、問題はない。
 昼を食べ、ここで休憩する。それが日課になっていた頃がある。その頃を再現させるため、わざわざそれだけが目的で出てきている。他にネタがなかったのだろう。
 店内は以前のままで、その後、改装していないためか、見覚えのある内装。馬車の車輪だろうか、それが相変わらず階段にあり、回す人が必ずいる。
 大きなツルッとした人形の置物があり、その子供が笑っている。ずっと笑っている。その笑い方は異国の人の口元。鳥のように見えたりする。
 コーヒーも以前と同じで水っぽい。薄いのだろう。氷がやけに多いアイスコーヒー。
 本来なら、ここで一服し、社に戻る。その時間に合わせて来ている。昼にしか入らなかった店のためだ。別の時間に来ると雰囲気が違うだろう。
「分かっているだろうね」
 という声が聞こえる。二つ向こうのテーブル。壁際の隅。そのコーナーに追い詰められたような青年が下を見て聞いている。
「はい、分かっています」
 青年が答える。
「それが分かっていればいい。念を押す必要もないことだが、そうなっているんだ。説明はしないが、そのようにしてくれ」
「分かりました」
「理解が早い」
「はい」
 何の話かは知らないが、色々事情や関係が頭に浮かぶ。富田も上司に似たようなことを言われたことがある。言い方だけで、中味は違うだろうが、似たようなパターン。
 富田が会社を辞めたのは「分かりません」と答えたから。その後、反応がおかしくなり、上司や同僚が間を置くようになる。それで孤立し、何となくいてはいけない空気を感じ、そこから出た。もう昔のこと。今も似たようなことをやっているのだろう。
 嫌なことを思いだしたと思いながらも、その思いなどとっくの昔に忘れている。もう思うようなこともない。
 油っこいビジネスランチを食べ、胸焼けし、喫茶店で休憩する。これをまたやりたかった。
 
   了


  
 


2020年10月24日

小説 川崎サイト