小説 川崎サイト

 

赤塚の謎


 赤塚があるのなら黄塚とか、他の色の塚もあるのではないと思い、下村は周囲を探したが、それらしい塚はない。赤塚は盛り土だろう。それほど大きくも高くもない。周囲は平地。起伏はない。ただ、家々が立ち並んでいるので視界に入らないのかもしれない。
 下村は周辺を探したが塚はそこだけ。塚なので墓なのかもしれないが、他の目的で盛り土をして高みを作るというのもある。一段高いところに目立つものを置くため。
 赤塚と書かれているが、そこ以外に赤塚と名の付く地名はない。
 赤塚は道路際にあり、そこからいきなり階段が出ている。といっても二階ほどの高さはない。その半分程度。それほど目立った高さではないのだが、大きな木が植わっている。これが目立つ。階段を上りきると祠がある。お稲荷さんだ。当然階段の入口に派手な朱色の鳥居がある。
 そこに老婆が現れた。いきなり赤塚の上に降臨したわけではなく、下の道をこちらへやってくるのを下村は確認している。そして鳥居を潜り、階段を上がってきた。ついでなので、聞くことにした。
「赤塚の由来ですかな」
「そうです」
「赤いからでしょ」
「何処が」
「鳥居ですがな」
「ああ、そんな単純なことで」
 そういう通称が定着し、もう赤塚以外の名は忘れられたようになったようだ。そのあたりの下りを老婆は語ってくれた。
 村創設に関わる大事な話で、村を起こしたとき、村の神が降臨した場所らしい。
 村神様は難しい漢字で誰も読めない。適当に名付けたのだろう。だから定着しなかった。
 降りてこられた場所は塚ではなく木だ。一番古い木がまだ残っているが、根っこだけ。いま聳え立っているのは二代目らしい。村ができるまで、このあたりは原野に近い荒れ地だったようだ。そこに一本のクスノキが聳えていたとか。
 それで降臨の地はその根だけの古木。その木のある場所が聖地となり、その前に小山を作った。そこだけは田んぼにしてはいけないと。
 初めて見る人は古墳だと思うかもしれない。
 そのあと、できたのがお稲荷さん。これはある時代、流行ったようで、普通の農家の庭にも祭られていた。
 その鳥居も何代目かだが、よく手入れされ、いつも濃い朱色が鮮やか。それで、赤塚と呼んでいたらしい。実は村神の名を呼ぶことは憚られるためでもある。実際には村神の長ったらしい名に馴染まなかったのだろう。
 その村神が村を起こしたとなっているが、村を作ってから降りてこられた。お呼びしたのは村人だろう。
 ただ、近くにある神社は、スサノウ神社で、よくあるコンビニのようなもの。何処にでもある。隣村にもある。
 本当に祭るべきは、名前がややこしい村神様。赤塚が村の神社の発祥の地となっているが、村の神社にはその村神様はいない。隠れて祭っているのかもしれないが。
 そして今は村神様も忘れられ、お稲荷さんの鳥居が鮮やかなので、赤塚としか言わなくなった。
 村神様が消えたのは、周囲の村々がスサノウ神社のため。村同士の付き合いもあり、揃えたのだろう。
 先ほどの老婆がそのような解説をやったわけではなく、あとは下村の想像。
 では原野を開墾し、そのとき迎えた神様は何だったのか。どういう神だったのかは、三村もその後、調べたが分からない。
 この村の開拓者は方々から来た人々なので、出身地の氏神を持ってくると、複数いる。
 そういうときに重宝な村神様がいた。
 その土地の地神様ではないのは天から降りてこられたとなっているので、別系統だろう。
 しかし、それら全ては下村の想像で、それが当たっていても外れていても、何事も起こらない。
 しかし、読めないような神様が降臨したという古木の根っこに下村は一応手を合わせた。
 
   了

 


 


2020年11月16日

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