小説 川崎サイト

 

遠くへ行きたい


「遠くへ離れる」
「どういうことだ」
「自分から遠く離れる」
「そういうことか」
「しばし、離れるので」
「それはいいわけか」
「まあ、そうです。少し離れたい」
 そういった世間のしがらみから離れたくなるときがある。
 田村はそれを実行した。
 すると「責任逃れだ」という声が聞こえてきた。まだそれほど遠くへ行っていないので、聞こえたのだろう。もっと離れなければ。
 これは遠隔地へ行くわけではない。自分から離れること。すると、自分が自分でなくなるのだが、少しだけ残しておく。そうでないと記憶喪失者。いっそその方が楽かもしれないが、しばらく離れるだけで、戻る気はある。だから、しばし。
 それで、しばしのお別れなので、田村は自分自身に挨拶し、遠ざかった。
 しかし、距離的移動はないので、田村はいつものようにそこにいる。
 自分から離れる。これは自分を俯瞰できる。ああ、自分はこんなところにいたのかと。そして状況も分かる。自分中心ではなく、自分もキャラの一人として。
 頭がわさわさする。風邪の引き始め、田村はこの症状が出る。自分から離れたので、留守番がいなくなったのだろうか。そんなはずはないが。
 身体を置いてきたわけではなく、気持ちを置いて離れただけなので、身体はそのまま。その身体の頭がわさわさする。これは無理をしない方がいい。
 しかし、わさわさするので、捨て置けないので、田村は戻ってきた。
 そして元の田村になり、世間のしがらみの中に身を置いたのだが、わさわさは少し休むと、消えた。それでまた遠くへ行った。
「田村君、君はいったい何処にいるんだね」
「今はここにいます」
「心ここにあらずは治ったのかね」
「はい、しっかりと」
「じゃ、頼んでいた仕事に早速取りかかって欲しい。いいね」
 これから逃げようと、少し遠くへ行っていたのだが、身体はそのままなので、世間の風当たりはいつも通りだった。
 今度は身体も連れて少し離れた方が良さそうだ。
 
   了
 

 


2020年11月21日

小説 川崎サイト