小説 川崎サイト

 

立ち話


「下田はいかん。あれは辞任すべきだ」
「交通機関の発達が、果たして人々に仕合わせをもたらしたろうか。利便性が必ずしもいいわけではない」
「下田の経歴を見たか。あれは嘘だ。それが分かっていながら、誰も何とも言わん。それを追求すると、おのれも追求されるからだ」
「私は歩いて旅する。これがいい。しかし、昔は伊勢参りなど歩いて行ったものだ。お参りよりもその道中の方が学ぶところが多いと言える」
 左側から来た人と、右側から来た人が神社前でばったり出合ったのか、立ち止まったまま立ち話をしている。神社が目的なのではなく、通過している最中。
「誰も正しいことを言わん。絵に描いた餅のような正論は言うがな。しかし、正論だけでは世の中、立ちゆかん。だが主義主張のあるいっぱしの人間なら、もう少しましなことが言えるはず」
「この前、近くを散歩したんだが、足が重い。歩いて旅するには鍛えんといかん。昔の人は運動目的で歩いたわけではなかろう。日常的によく歩いていたに違いない。しかし、どの程度のスピードで歩くのだろう。それは人それぞれ」
 二人は向かい合って話しているのだが、どちらも相手の目など見ていない。
「倉橋先生に出てきてもらうのが好ましい。まだ引退するような年じゃない。あの人の時代は良かった。言っていることが痛快だった。やっていることは同じでも言い方を変えると、説得力がある」
「牛に引かれて善光寺参り。年をとるとそれだな。しかし牛を飼わないといけない。昔は農家でも牛を飼っていた。その牛に引っ張ってもらうのも手だが、果たしてそれで合っているのかな。荷運びの牛は見かけるはず。そして荷は私だ。それなら行ける。だが、この時代、そんな牛に引っ張られながら道路に出ておる人などおらんだろ。だから無理だな」
「一人一人がもっと認識を持つこと。これが大事で、世の中のことをしっかりとチェックすることだ。私は毎日新聞を読んでいるが。それは信用できんので深読み、または裏読みする」
 二人は歩きだした。左から来た人は右へ。右から来た人は左へ。
 二人とも、一人でブツクサ言いながら歩いている辻説法系の散歩者だろう。
 
   了



 


2020年11月30日

小説 川崎サイト