小説 川崎サイト

 

選択の自由


 似たようなものが二つある。どちらかを選択すればいいのだが、両方選択するという手もある。同じものが重なるのだが、両方を交互に使えばいい。そのうち、どちらがいいのかが分かる。もし片方だけ選択すれば、選択しなかったものがずっと気になる。そちらの方がもっと良かったり、選択したものにある欠点がないような気がする。これは両方から似たようなものを発しているのかもしれない。
 行かなかった場所はどうだろうか。これは同時には行けない。後で行くということになる。しかしその日、その時間でないと駄目な場合は一つに決める必要がある。これは後で行くとかができない。そのため選択しなかったものは永久に闇の中。
 どちらにしても、選ばなかったもの、行かなかった場所が後々気になるもの。
 そして行かなかった場所、選ばなかったものを求め続けたりする。その場合、理想像のように勝手に良いように思ってしまうのだろう。だから理想。到着し得ない。しかし目的がある。目標となる。
 選ばなかったものが目標になるとはおかしな話で、そのとき選んでおけばもう目標にはならないが、片方が今度は目標になる。本当は選ばなかったものがより劣っていたりするのが現実。だから良い方を選んだ。
 選ばなかったものを理想化する。これはもう妄想。勝手に付け足したりする。だから現実的には存在しないシロモノ。理想的だが、存在しない。幻のようなもの。ただ、人は、それに魅力を感じる。想像上の魅力だが。
 人は嘘の方を信じやすい。本当のことは信じなかったりする。嘘であるとされているもの、果たして本当は嘘だろうか。もしかすると、本当ではないかと、嘘に引っ張られる。
 本当のことは、それが本当であると困るとき、それは信じない。所謂本当だとは思えないとなる。本当のことのようだが、嘘であって欲しいと望むためだろうか。
 良い夢を見たとき、夢だったので、これは惜しい。悪い夢を見たとき、夢で良かったとなる。
 万が一とか、意外と、とか、あまり起こらない奇跡的なことを信じたりする場合、これは抜け穴のようなもの。
 選択の自由がない場合もある。それ以外の選択肢がない。だから選べない。だから選択の余地がないので、選択という言葉もいらない。それしかないのだから。これは分かりやすいし、ストレートだ。
 選択という自由。こちらの方がバケモノを生み出す。
 
   了


 


2020年12月8日

小説 川崎サイト