小説 川崎サイト

 

何でもない状態


 何でもないものが難しいのは何でもないため。何でもないだけに何もないに等しいが、実際には何かがある。しかしそれだけで間を持たせるのは難しい。刺激的な何か、ポイントになるような見どころのようなものが少ない。しかし、ずっと刺激的なものばかりだと麻痺してしまう。刺激はより強い刺激を求める。だから際限がない。ところがそれ以上強い刺激となると、もうないかもしれない。
 刺激的なものは退屈しないが、そればかりが続くと退屈になる。望んでいるものがより大きくなるためだろう。少々の刺激では応えなくなる。
 ところが何もないものには刺激はないが、なくもない。それとなく刺激的なものが含まれている。ごく僅かだ。気が付かないほど。しかし、やはり退屈。そのため、この間を持たせるのが難しい。
 刺激的なものは簡単で、それを入れればいい。
 間が持たないはずだが、何とか間を持たせる。ここが難しい。それなりのセンスなどで繋いでいくしかない。
 また、刺激を求めないで、穏やかなものを好む場合もある。これは刺激に飽きたためだろうか。贅沢な食事ばかりしていると、それに飽き、あっさりとしたものに箸がいく。
 しかしお茶漬けばかり食べていたのでは何なので、こってりとしたものを欲しがる。その中間があるはずで、これは日々食べている普段のものがそれに近い。
 中間というのは難しい。しかし長く場を持たせるには中間を使うしかない。その中間の間が本当は難しい。徹したものよりも。
「中間ねえ」
「はい」
「中途半端と言うことかね」
「地のような」
「地?」
「普段のような」
「よく分からんが、何かあったのかね」
「日常が充実するような」
「余計に分からんよ」
「あまり刺激的ではない普段が一番居心地がいいような。これは楽しさではなく、居心地です」
「何か知らんがまだ若いのに、悟ったようなことを言うものじゃない」
「そうなんですか」
「日々せわしなく、忙しく、ドタバタし、たまに疲れて休む。それでいいんだよ。妙なことを考えて作為的な生き方をするよりもね」
「はあ、まあ、それで普通ですねえ」
「だから、探さなくても、よい問題だ。良い日々もあれば悪い日々もある。何も感じない日々もある。それだけだ」
「はい、心得ました」
「そんなこと心がけるから駄目なんだ」
「あ、はい」
 
   了
 


2020年12月13日

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