小説 川崎サイト

 

刺客


 草加の日常は何もない日が続いている。しかし最小限の用事はあるので、決して何もなくはない。だが将来を見据えた何かというのがもう消えている。やるべきことは既にやり終えた隠居の身。あとは楽して生きればいい。重荷もない。
 草加はその気でも、周囲は違う。
 その日も何もないので縁側で日向ぼっこをしていた。その時刻、いい感じで陽だまりができる。こういうのは猫がよく知っているのだが、草加もそれを覚えた。
 すると木戸から庭に入って来る編み笠の武士。大刀だけを一本腰に突っ込んでいる。浪人者かもしれない。
「草加殿ですな」
 低い声だが、よく通り、木戸と縁先はそれなりの距離があるのに、よく聞こえる。
「そうじゃが」
「ご無礼とは知りながらも、押し掛けました」
 表には番の家来がいる。裏にはいない。
「何ようかな」
「実は」
「そのようなところではなんだ、もっと寄りなされ」
「ご免」と言うや、さっと太刀を抜き、斬りかかってきた。
 草加は座ったまま後ろへころりと転び、そのまま番の家来がいるところまで突っ走った。
 編み笠の武士は当然だがワラジのまま座敷に上がり、草加を追った。
 廊下の角を曲がった板廊下で、武士はひざまずいた。足をやられたようで、歩けるには歩けるが、痛い。それを我慢し、立ち上がり、もう一歩足を出したところで、また激痛。両足ともやられた。
 そのうち番の家来が駆けつけ、取り押さえた。
 草加は蒔き菱を使ったのだ。
「誰が放した」
「え」
 武士は意味が分からないらしい。
「誰に頼まれた」
 武士は失敗すればきっとそう聞いてくることを知っていた。
 番の家来は編み笠をとり、身元が分かるようなのを探した。
「分かった、言う」
「誰じゃ」
「村岡庄左衛門様です」
「おぬしはその家来か」
「いえ、雇われました」
 草加は、番の家来に放してやれと命じた。
 武士は取り上げられた太刀を腰に差し、編み笠を被り、入り込んだ縁側へ戻ろうとしたが、歩けない。
「歩けません」
 草加は下男を呼び、家来と二人で裏木戸の外まで運んだ。
「訴えましょう、大殿様」
「いや、面倒はしたくない。なかったことにする」
「はあ」
 刺客の武士は木戸の前から何とか歩きだした。やられたのは両足の裏。しかし側面は使えるし、足の指だけでも歩けそうなので、傷口に当たらないよう工夫し、立ち去った。
 下駄なら良かったのに、と呟きながら。
 今日も何もない日が続くと思っていた草加だが、今日はいいものを見せて貰った。しかし、長く引っ張るつもりはないようだ。
 
   了


2020年12月19日

小説 川崎サイト