小説 川崎サイト

 

埒内埒外


 埒外はある範囲を超えたところのものだが、今の範囲内からでもよく見えている。圏外でまったく見えないわけではない。埒内と埒外の違いはあるのだが、それは将来に対してのこと。今のことではない。埒内が増えると埒外だったものも埒内に入ってしまう。
 だから埒外だと諦めたりしないで、いずれは埒内に入ると思えば、埒外も埒内になる。予想される未来のようなもの。しかし、その予想内ではなく、予想外で、本当にかけ離れていてもう無関係に近い埒外もある。こちらが本来の埒外。全くの見当違いで、それを内に取り込もうとすること自体が無茶な話。また無理な話。
 ところが可能性のある埒外もある。先の予定にはなく、埒外なのだが、可能性はある。しかし実現性が乏しいので、埒外に置いている。
 この灰色のような、どちらなのかが曖昧なものもある。少し経過すれば色々と変わり、埒内になる可能性がある。
 埒内のものよりも埒外のものの方が魅力がある。それは身の丈に合わないので、埒外となっているのだが、身の丈が変われば埒内に入る。
 また段違いのものにはそれなりの魅力がある。その段を上っていけば、段が同じにさえなれば、段違いではなくなる。しかし、今すぐというわけにはいかない。
 埒外と思うのは気持ちの問題も大きい。現実を鑑みれば、そういう気持ちになって当然。大きな背伸びになる。または過激すぎたりやりすぎになったり、的外れの暴挙になるかもしれない。そういうことを秘めているので、その含みが気持ちにも出る。気持ちにはその裏付けとなるような具体的なものを飲んでいるので、そうなるのだろう。
 しかし、一つの埒外をものにしたときは気持ちがいい。なかなかできないことであり、勇気もいるし、自分という殻を破る必要さえある。自分はその殻で守られているので、破ると危ないことになるのだが。
 埒外や埒内は計算された世界。それとは別に勘のようなものがある。これなら埒外で何の裏付けもないのにやってしまうことがある。このときの判断はだたの勘としか言いようがない。ただのムードだったりするが。
 そういう直感のようなもの、計算しないで閃いたものは、そのときは良いが、すぐに計算機が働き出し、おじゃんになる。やはり計算が立たないため、埒外に投げ返される。
 しかし人としては埒外な事をやっている人の方が興味深い。いったいどんなバランスで、そんなことができるのかと。
 その人だけの計算式があり、その人の中では計算できる世界で、埒内なのかもしれない。
 
   了
 
 


2020年12月28日

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