小説 川崎サイト

 

大晦日の阿弥陀籤道


 いよいよ年越し間近の大晦日。明けて新年を迎えてから少し立った頃、島田は大晦日のことを思い出した。すっかり忘れていたのだ。数日前のことだが、思い出したくなかったのだ。
 また去年のことになるので、もう昔のことのように思う。数日前なのに、昔。
 大晦日、島田は彷徨っていた。暮れゆく年の瀬、何とか来年に繋がるような何かを得たいと。
 来年といっても明日のこと。一日で得られるようなことは知れている。しかし、何かを掴みたい、きっかけでもいいので。
 そう思い、暮れかかった大晦日の闇を彷徨った。部屋の中で彷徨ってもいいのだが、檻の中の熊だ。同じところをぐるぐる回っているようなもの。直線コースは短い。
 市街地に出ると、何処までも続いているような直線コースがある。これなら景色も変わる。
 島田はそれなりの外出着で、とぼとぼと歩いている。散歩者というよりも、何処かへ出掛けるか、または戻る人のように。
 直線コースが望ましいのだが、信号待ちが嫌なので、横道に逸れたりする。特に目的地はない。だが少し賑やかなところがいい。人が多いほど目立たない。
 それで、適当に歩いていたのだが、駅前へ向かうことにした。そうでないと、そのまま行くと淋しい場所になる。郊外の住宅と工場が混ざったような場所で、殺風景。
 それなら最初から繁華街のある大きな街まで電車で行けばよかったのだが、まずは歩いてみたかった。歩きながら考えを纏めたかった。しかし纏めるだけの材料がない。
 来年に向かい、何か新たなことがしたい。そのヒントになるようなものを得られればよい。
 来年に架ける橋。それを大晦日の今日、見付けたい。今日、それを見付ければ、来年からそれを渡る。来年とは明日ことだが。
 この間隔がかなり短いような気がする。
 島田は駅前へと進路を変えたが、あまり来たことのない場所まで直線コースで歩いていたので、行き方を考えないといけない。もと来た大きな道沿いを戻ればいいのだが、方角が駅前とは違う。ここからなら斜め方角になる。
 島田は工場と住宅の間をじぐざぐに抜けているとき、まるで阿弥陀籤を引いているような気がしてきた。
 次の分かれ道まで来ると、人影が立っており、それが阿弥陀さんだと、怖いだろう。
 しかし、電柱の横に人影がある。最初は物だと思っていたのは動かないため。
 阿弥陀菩薩ではないが、背の高い人で、かなり痩せている。寒いのに薄着。
「あのう」
 と、その人が話しかけてきた。
 島田は阿弥陀さんだとは思わないものの、阿弥陀の化身ではないかと、一瞬感じたのは、その人の雰囲気だろう。そして「あのう」の声に品がある。
「はい」
「あのう、駅前前はどちらでしょう」
 島田は道を聞かれているのだ。それに自分も行くところ。まさか、この人も来年への橋を架けるため、大晦日の夜に彷徨っているのだろうか。
 駅前までの道順は島田にも分からない。聞きたいのは島田の方。
「下名草の駅なら、この方角ですが、真っ直ぐな道はないようです」
「新京駅です」
 それは歩いて行ける距離ではない。大陸に渡らないと行けないだろう。
 関わりたくないので、島田は、すっと離れた。人のことよりも、自分のことで、一杯一杯なのだ。
 さらにその阿弥陀籤のような道の抜け方をしていると、また電柱の横に阿弥陀さんのような人影。
「そこの人」
 と、先ほどの人とキャラが違う。少し迫力がある。
「はい」
「西京駅はどちらじゃ」
 先ほどの人ではない。
 島田は無視し、その横を通り抜けた。
 この調子なら、まだまだ出るぞと思いながら。
 
   了



2021年1月3日

小説 川崎サイト