新年の蠢動
まだ大寒も来ていないのだが、吉村は春を感じた。この春は新春。新しい年ということで気温を差しているわけではないが、一月も中旬を過ぎると完全に正月気分は抜ける。おとそ気分。だが吉村は飲んでいないが。
これから真冬の一番寒い頃にさしかかっているのに、なぜ春を感じるのか。それはその日はよく晴れ渡り、高気圧に覆われ、寒いが日差しが明るく、街も明るく見えるためだろう。それで新春を感じなかった正月だが、今頃新年を感じている。
年を越したというのが、その時期に分かる。既に十日は過ぎているのだが、リアルに感じるのは、その頃なのかもしれない。
十日目に、ああ新年を迎えたなあ、と思うのだから、少し遅いのだが、そういう気になるのだから仕方がない。
吉村は寝正月で何処にも行っていないが、正月が明けてからも何処にも行っていない。買い物には行くが、これといった用事はない。
友人知人は消えてしまい、毎年年末に帰省する親友も、もう十年ほど前から帰って来ない。すっかり都会の人になったのだろう。
春を思わせるものは何一つなく、真冬の風景しかないのだが、なぜ春を感じたのか、吉村は不思議な気がした。感じたのだから仕方がない。感じようとして感じたわけではない。
年明けを感じようとしたが、感じなかった。一夜明けた程度の気持ちしかなかった。
蠢動。吉村は虫ではないが、腹の虫が動き出したのかもしれない。もう春だと。それにしてもまだ早い。フライングだ。
ということは、今年、何かやろうとしているのかもしれない。
何を。
それが分からない。だが何かが蠢いている。胎動だ。何かは分からないが、きっと何かがあるのだろう。
何か何かでは何かよく分からない。
だから、ただの気のせいだ。
と、思いながらも気になるので、心当たりを探してみた。それらは過去にある。過去に蒔いた種が発芽したのだろうか。
または長く寝ていた虫が、起き出したのだろうか。
しかし、あれでもないし、これでもない。思い当たるものがない。それでは何ともならない。
気分だけ盛り上がっても、何に対しての盛り上がりなのかが分からないのでは、空回り。やはり具体的なものがないと、うまく絡まない。
そうか、何か新たに考えて行動せよということか。と、吉村は、そう受け取った。
いわば白紙のページ。そこから始めよと。
それで、いろいろとやりたいことなどを考えていたのだが、数日経過しても、何も出てこない。特にやりたいことがないのだ。
そのうち大寒波が来て、真冬の一番寒い状態になる。
それで、感じていた春も凍ってしまったのか、その後、あの春の気配は、もうしなくなった。
やはり気のせいだったようだ。
了
2021年1月13日