小説 川崎サイト

 

寒桜


 草薙は春への戻りを感じたので、ほっとした。順調に春へ向かっていたのだが、寒の戻りがあり、寒い日が続いた。それが去ったので、また春への再スタート。
 閉塞感が開放感に変わる。いつも見ている寒桜の花芽が赤い。赤いまま止まっていたが、さらに濃く、そして膨らみを増すだろう。これもあまり変わっていないかもしれない。しかし、昨日見たときは赤みが薄れていたが、今日は赤さが戻っている。これは光線の具合だろう。晴れているときは彩度が高くなるし、コントラストも付くので際立つ。
 日影は暗く日当たりのある場所は極端に明るく眩しい。曇っている日はフラット、日影もないが陽射しが来ているところもない。
 春になれば何があるのか、草薙は何を待っているのか。実は何もない。だからただ単に春を待っている。春待ち。
 寒いときよりも、多少は動きやすくなる。それだけ。
 そして、何に対する動きなのかというと、大したことではない。春に何か大きな動きがあるわけでもない。巡る季節を見たいだけ。
 今のところ草薙が待っているのは寒桜の開花。ソメイヨシノよりも早いだろう。梅は既に満開近い。その後半に寒桜が咲くはず。
 草薙は散歩のとき、必ずその寒桜の枝を見ている。年末には見ていない。まだまだ早いためだろう。年明けにも見ていない。見始めたのは大寒の頃。寒いので、早く春を知らせるようなものを見たかったのだろう。枝に瘤ができているが、まだ茶色い。これは真冬でもある。待っているのだ。
 草薙が毎日その寒桜の前に立っているためか、寒桜が反応した。
 蕾のような頭をした虫が飛んできた。羽根はトンボのようだ。だから、トンボと見間違えたのかもしれないが、冬場、トンボはいないはず。
 それに、声がする。
「まだまだ」
 と。
「いつ咲くのですか」
「さあ」
「自分でも分からないのですか」
「そうです」
「了解しました」
 草薙は寒桜の精と会話を交わしたのだが、その感慨はない。実は大変なことで、人生観が変わるほどの出来事なのだが、平気な顔をしている。路上で一寸した知り合いと出くわし、一寸した会話をしたのと変わらない。すぐに忘れるような。
 凄いことだと受け止めなかったのは、そういう麻酔にかかっていたのかもしれない。
 翌日も、その寒桜の前に立つが、もうあの妖精は出てこなかった。
 
   了
 

 



2021年2月13日

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