小説 川崎サイト

 

情動のスイッチ


 滞っていたものがスーと通ると気持ちがいい。便秘などがそうだ。出るべきものが出る。また滞っていたものの中に、入るべきものもある。
 溜まるとゴミ出しが大変なように、また支払いなどが溜まると、これもまた大変。
 そういうことだけではなく、気持ちが動かないので、滞る場合もある。その気になかなかなれない。なってもいいのだが、今じゃなく、もう少し後か、先でもいい。今、それをしたくない。
 しかし、やりたくないことではなく、やりたいことであっても、気が進まず、そこで詰まっていたりする。
 タイミング、時期、というのがある。いつでもよかったりするのだが、今日ではないとか、今ではないとか、そのときではないとか、色々とある。
 このタイミングというのは向こうからやってくることがある。しかも偶然だと、これは意味を感じる。同時に、それがきっかけとなりやすい。滞っていたものを開くスイッチのように。
 例えば勇気がないので、なかなか踏み込めなかった場合でも、そのきっかけが誘い水や引水となり、スーと水が入ってきたり、水が出ていったりする。
 滞っていたものがすっと開くと、他のものも開いたりする。溜まっていたのは他にもあり、ついでなので踏み込める。
 要するにあるテンションが必要だった。堰き止めているものよりも高いものなら、乗り越えられる。堤防が決壊したようなものだが、これは悪いことではない。一寸した抵抗体が消えた。
 それらは偶然のタイミングで起こることが多い。そしてその偶然は作れない。向こうからやってくる。内からではなく。
 そのタイミングの良さがスイッチになるのだが、それを外すと、次はなかったりする。偶然なので。
 だからスイッチを押す期間は限られている。今すぐの場合もある。それを逃すと、もうその気は失せるだろう。しかし、消えたわけではない。
 時田はたまにそういうことで動いてしまったりする。何かのお知らせではなく、動かしてくれる。気持ちを。
 だから、ただの情報ではない。情動だ。
 ただ、いずれあることなので、いつでもいいのだ。そのきっかけが欲しいだけかもしれない。
 
   了

 



2021年2月16日

小説 川崎サイト