小説 川崎サイト

 

なくしたもの


 失ったものを取り戻す。これはよくあることだ。一度手に入れたものを何らかの理由で失うことになった場合、すぐにでも取り戻したり、取り返したい。
 取り消しができるものは、何も失わないが、何も得ていない。取り消したのだから。
 しかし、取り返しが付かない場合、これは何とかしないといけない。一度手に入れたのに消えている。自分のものになっていたのに、それを失う。これは取り戻すため、何らかの動きをする場合もある。
 かなり昔に失ったものなら、もう忘れているし、ないものとしてやっているかもしれないが、失った直後は別だろう。
 失ったものを取り戻そうという気はあるが、もうどちらでもいいかと思うことも多い。それに失ったあとのストーリーがあり、そちらの道へと進んでいるため、取り戻すと話が違ってくるし、もう必要ではなかったりする。
 親の仇のようにいつまでも思い続けているものもあるが、仇討ちをしても親は戻ってこない。
 失ったものがふっと戻ってくると、かなり嬉しい。もうそれは必要でなくなっていたとしても。
 吉永は色々と失ってきたが、増えたものも多い。むしろなくしたものよりも多いかもしれない。忘れ物傘よりも買った傘の方が多かったりする。世界で一つしかない傘なら別だが、何処にでも売っているような傘なら、なくしてもそれほどこたえないだろう。少し出費が必要だが。
 それでも古くなり、傷んでいる傘なら、なくした方が清々するかもしれない。ゴミの日に出さなくてもいいので。
 しかし、吉永にも長く思い続けているなくしたものがある。赤子の頃の至福感などは覚えていないので、それではない。
 そして、何をなくしたのかが分からないが、なくしたような気がすると思い続けている。それでは探し出すにも手掛かりがない。一度も手に入れていないもの、また記憶の中では体験していないことでは、なくすも何もない。持ったことがないので。
 買ったものなら、金を払えば取り戻せる。だから、その方面ではない。
 吉永は大した地位にはいないので、なくした地位でもない。また、なくした名誉でもない。
 しかし、何かをなくしたことだけは分かる。
 何かをやり遂げたあとでの喪失感ではない。天然自然に発生したものに近い。
 何をなくしたのかが分からないまま、それを探している。これは何だろう。
 吉永はそれに何度も気付いているのだが、その不思議な感情は、まだまだ続いている。
 
   了

 
 


2021年2月23日

小説 川崎サイト