小説 川崎サイト



特急電車

川崎ゆきお



 坂田が特急電車に乗り込んだ時、客は誰も乗っていなかった。運転手と車掌は乗っているが、乗務員がいない特急電車は幽霊電車だ。
 坂田は指定座席に座る。車両の後ろ側の座席だ。
 ホームには人が大勢いる。都心のターミナル駅なのだから当然だ。
 しかし、この特急電車には人影はない。
 坂田はホームを見た。確かにそこはホームだ。車庫ではない。
 アナウンスが流れた。
 回送電車に乗り間違えていないことも確かだ。ダイヤにある、真っ当な電車だ。
 坂田は背もたれを倒し、タバコを吸う。灰皿は肘あてにある。ぐっと引っ張ると全部抜けてしまった。
 喫煙車両なので、吸っても大丈夫だ。
 特急電車はいつの間にか都心を抜け、ごみごみした市街地を走っている。
「一本いいですか」
 いきなりの声に坂田は驚く。後ろから手が出ていた。真っ白な細い指だが、以外と長い。
「はい」
 坂田は一本、その指に近付ける。
「ありがとう」
 後ろから煙りの匂いがする。
 手だけの化け物ではなく、本体があったのだと坂田は安心する。
 だが、振り返って本体を見る勇気がない。それに中腰にならないと背もたれが高いため見えないだろう。
「寂れましたなあ……この特急も。これじゃ赤字でしょ。田舎の鉄道よりひどい。客は私とあなただけ」
 坂田はまだ二人だとは認めていない。
「春なら桜の名所だから、乗客は多いんでしょうがね」
「はい」
「この季節、終点まで行っても何もありませんよ」
「世界遺産になったはずですが」
「そうなんだ」
 車掌が入ってきた。坂田は特急券を調べにきたのかと思い、ポケットから取り出そうとしたが、背中を見せたまま通り過ぎた。
 化け物が坂田の後ろの座席にいるのなら、車掌も気付いたはずだ。
 そうなると後ろにはやはり誰もいない可能性がある。
 坂田は思い切って立ち上がり、後ろを見た。
 
   了
 
 
 



          2007年9月10日
 

 

 

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