小説 川崎サイト

 

春の坂道


「いいですよ桜坂」
「はあ」
「春を感じます」
「何処にあるのですか」
「近くです」
「聞いたことがないのですが」
「私が付けました」
「ああ、なるほど。で、何処にあるのです」
「そこの丘陵の裏側です」
「ああ、そちらでしたか」
「こちらから行くと一度丘を登ってからの下り坂。そこに咲いているのです」
「桜の名所でしたか」
「違います。数本あるだけなんですが、どの木も大きい。一本で数本分ありますよ」
「なるほど」
「この桜坂は私だけの花見の名所。まあ、通行人もいますがね。ほとんどが散歩でしょ。丘陵を回り込むようにして幹線道路がありますからね。わざわざ丘を登る必要はない」
「はい」
「まあ、近道ですがね。向こう側に用事があればいいのですが、ここよりも田舎です。まあ、農家なんかが残っていたりしますしね。それと村の萬屋跡のような店屋もあります。雑貨屋ですねえ。そこでラムネを飲むんです。そして、幹線道路に出て、バスで戻って来るコースです」
「近くにそんなところがあるのですね」
「暇なので、この一帯を散歩中に見付けたのです。坂がいい。坂に沿っての桜。これを丘の上から見たとき、感動しました」
「何故ですか」
「感動とは大袈裟ですが、こんなところに桜が隠されていたんだと思うと、嬉しくて。こちら側からは見えません。向こう側からなら色で分かるでしょ」
「そうですね」
「今年も行って来ましたよ。花見に」
「まだ早いでしょ」
「その桜、寒桜のようで、早いのです。これでもう花見は仕舞いです」
「それは早い」
「桜の花見は早いほど良いのです」
「ああ、なるほど」
「今年も花見が出来た。それだけで満足ですよ。坂を下っていくときの足取りも軽いです。下りですからね」
「はい」
「村の萬屋跡、まだありました。お婆さんがやっていましてね。年寄りの集会所のようになってましたよ。ラムネは年中置いてあるらしいです。それも飲みました。気管に入りそうになったのでむせましたがね」
「はい」
「あなたも行かれては如何ですか。穴場ですよ」
「いえ、またの機会に」
「どうしてです」
「花見どころじゃないので」
「あ、はい」
 
   了

 
 


2021年3月9日

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