小説 川崎サイト

 

市ヶ崎坊の権蔵


「市ヶ崎の権蔵さんはこのあたりか」
「そうです」
「どの屋敷じゃ」
「そこの小橋を渡って、右に入って二つ目のお屋敷です」
「かたじけない」
「いえいえ、それよりも、いいんですか」
「何が」
「そんなお屋敷に行かれて」
「用がある」
「じゃ、仕方ございませんねえ」
「何が仕方ないのじゃ」
「いえいえ」
「気になるのう。何かあるのか」
「何かおわりなので、行かれるわけでしょ」
「まあな」
「では、私はこのへんで」
「うむ、礼を言う」
 市ヶ崎は城下から離れ、また武家屋敷町からも外れたところにある。別邸、別宅、控え屋敷などが並び、大きな宿坊もある。寺のようだが、実際には宿泊所。一寸した陣屋規模だが、造りはお寺風。
 市ヶ崎の権蔵とは、この宿坊に所属する寺侍。宿坊には住まず、空いていた武家屋敷で暮らしている。
 そこへ先ほどの侍がやってきた。
「権蔵殿はおられるか」
 大きな声なので、中まで聞こえたのか、下男が出てきた。
「はい」
「案内を請う」
「はい」
 侍は、この藩の立派な家臣。市ヶ崎の噂は聞いている。まともな藩士は、ここに屋敷を持たない。
 出てきた権蔵は町人と変わらない。どう見ても宿場のならず者。
「市ヶ崎の宿坊を仕切っておるのは、その方か」
「左様でございます」
「一つ頼みがある」
「何なりと」
「女人をかくまって貰いたい」
「おやすい御用で」
 翌日、白狐のような女人が現れた。
 権蔵は女人を籠に乗せ、宿坊へ案内した。既に部屋は準備している。それと下女も。
 女人は籠を降り、宿坊の玄関口から中に入った。当然権蔵の案内で。
 女人に表情はない。
 権蔵は寺男に合図を送ると、三人ほどが女人の後ろから付いてきた。
 部屋は奥まった場所にあり、まるで迷路。
 その奥はもう部屋はなく、ただの廊下。
 女人の目が少し開いた。
 その瞬間寺男三人が女人の自由を奪う。権蔵は小部屋の鍵を開け、そこへ女人を入れる。板の間の奥にもう一つ扉があり、そこは畳の敷かれた座敷。
 要するに座敷牢。
「よし」
 と、権蔵は、そこを去る。
 そこに下女も来たので、権蔵は色々と指図をする。もう何度もやっていることなので、慣れているようだ。
 
   了
 

 


2021年3月21日

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