小説 川崎サイト

 

祭りの日


 倉橋は楽しみを早い目に済ませてしまった。しかし、それほどのことではなく、がっかりした。そういった楽しみは間隔を置いて実行している。今回は早すぎた。そのため、次の楽しみまでの期間が長い。
「早まったなあ」
 倉橋は後悔したが、我慢出来なかったのだろう。早く楽しみたいと。
 次の楽しみまで、かなり間が開く。これを早めて、前倒ししてもいいのだが、期間を置かないと、それほど楽しいことにはならない。今回がそうだった。
 倉橋は待つ間を楽しむタイプなのだが、それが崩れた。しかし、次はかなり待たないといけないので、それだけ待つ時間が楽しめるはず。
 待つ時間は苦痛ではない。しかし、魔が差すこともある。衝撃的に。
 倉橋は昔の人の楽しみについて書かれた本を読んだことがある。年に何度もない。恐ろしいほど待ち時間が長い。祭りの日ぐらいだが、今の時代は年中祭り、そのため、毎日祭りが出来る。
「これがいけない」
 と倉橋は気付いており、知っているのだが、歯止めがない。タガは簡単に外れる。
「これは日常の過ごし方を間違っている」
 と、倉橋は反省する。日々というのは地味なものだ。だからこそ祭りが楽しい。
 連日祭りでは、何もない日が貴重だったりする。流石に倉橋は毎日祭りをやっているわけではないが、その頻度は多い方だろう。ただ、大きな祭りではなく、非常に小さい。祭り規模ではないほど小さい。だから回数が多い。
 昔の暮らしぶりの本にも書いてあったが、祭りの準備というのがある。祭りが終わった翌日、また祭りをやるのではなく、準備。
「これだろう」
 準備は祭りではないが、祭りへと向かっている。実際には祭りしないが、気持ちは祭り気分。ただ、準備なので地味。
 そして祭りとは関係のない地味な日々の生活。これが長いほど祭りは楽しい。これは先ほど考えたことだが、待ちきれず実行することもある。
 待つ日が長いほど楽しみも大きいとも言うが、待ちくたびれて、もういいかと、なることもある。もういらないと。
 祭りはハレの場。ハレばかりではハレの中の曇りや雨も生じるだろう。ハレの日は晴れていないといけない。また待てば待つほど晴れるだろう。待ち時間が短いと晴れの日なのに、曇っているかもしれない。
 日々の地味な生活の中でも、小さな祭りがあるのかもしれない。ほんの僅かだが、祭りの日でなくても、小さな楽しみならある。
 人は楽しむために苦しんでいるのだろうか。辛い仕事を果たせば、楽しいことがやってくるように。
 逆に苦しむために楽しんでいることもある。
 
   了
 
 


2021年3月24日

小説 川崎サイト