小説 川崎サイト

 

春風の吹く顔


 いつも春風が吹いているような顔の上田だが、春になっても顔色が冴えない。険しい顔をしたまま戻らないように。
 それはどうしたことかと、知り合いの住職が訪ねると、戻らないと言うより、これで普通だと言うし、別に生活が厳しいわけではないし、いかめしいことを考え続けているわけでもないと。
 ではどうしてそんな不機嫌そうな顔になったのかと聞くと、冬の寒いとき、顔をしかめたままフリーズし、戻らないとか。
 では、春風が吹いているような顔はどうしてそうなったのかと聞くと、同じようなもので、春風が吹き、過ごしやすくなったとき、顔がほころび、そのまま固まったと。
 それでは普通の顔、固まっていないときの顔はどんな表情になっていたのかと聞くと、それはもう遠い昔ことで、春風顔が一番長いと。
 では、何故春風顔になったのかと訊ねると、ニコニコしていたためらしい。赤ちゃんの頃からそうなのかと問うと、母親は、そうだったらしいと言っている。
 そのニコニコ顔の春風顔がデフォルトのようだが、成長するにつれ、それが消えていったとか。
 顔は人の履歴書とも言われおり、顔を見れば人柄も分かるらしいが、それなりの行いの結果が顔に表れるのだろうか。
 しかし、上田の場合、精神的なことでも人格的なことでもなく、もっと物理的な顔の筋肉の問題だった。
 その証拠に、春めいてきたため、冬のいかめしい顔が雪解けのように皺が解け始めた。
 住職は山門前に毎朝出て掃除をしている。そのとき、毎朝のように上田に出合う。それを観察していると、穏やかな顔になりつつある。
 人の行いは顔には出ないものなのだと、住職は理解したが、これは言わない方がいいだろう。
 そして桜が咲き、散り始める春爛漫の頃、上田の顔は春風の吹く顔になりつつあった。あと一吹き。春の暖かいもう一吹きで完全に戻るだろう。
 ところが初夏のような暑い日が来た。上田は気温の高さで、少し汗ばみ、暑苦しそうな顔になった。その皺が春風皺を押し返した。
 住職も、それを見て「あと少しだったのにねえ」と同情した。
 しかし上田は春風顔がいやだったらしい。だから、今の一寸いかめしい縦皺が入った顔の方がいいそうだ。
 
   了

 


2021年3月26日

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